徹底した3Rとエネルギー効率の高さ! 江戸の町に学ぶ究極の循環型社会とは

江戸の町は「究極の循環型社会」であったといわれます。
では、江戸の町人はどのような暮らしを営んでいたのでしょうか。
そこから私たちが学ぶべきこととは?

循環型社会とは

まず、循環型社会とはどのようなものでしょうか [1]。

図1 「循環型社会」
出典::*1 環境省HP「3Rまなびあいブック 大人向け(2015年改訂版)」p.5
https://www.env.go.jp/recycle/yoki/b_2_book/pdf/otona/00_3r_manabiaibook_otona.pdf

循環型社会とは、図1の左上にあるように、
「適正な3Rと処分により、天然資源の消費を抑制し、環境への負荷ができるかぎり低減される社会」
のことです。

こうした循環型社会を構築する際にキーワードとなるのが‘3R’(スリーアール)です。
3Rとは、
① Reduce(リデュース):発生抑制
② Reuse(リユース):再使用
③ Recycle(リサイクル):再生利用

の3つの頭文字をとったものです。

この3Rによって、天然資源をうまく循環させ、地球への負荷をできる限り低減させる―それが循環型社会です。
ところが、現在は、生産、消費、廃棄ともに大量で、天然資源の循環が滞り、こうした循環型社会が実現しているとはいい難い状況です。

では、江戸の暮らしの中に3Rはどう生かされていたのでしょうか。

江戸の町とは

3Rの視点から江戸の暮らしを眺める前に、ここでは、江戸がどのような町だったのか、その概要を押さえておきたいと思います。

まず、江戸の範囲はどこからどこまでだったのでしょうか [2]。
その範囲は時代によって変化していますが、幕府がはっきりと江戸の範囲を決めたのは、1818年(文政元年)。
江戸の地図上に朱線を引き、「江戸御府内」―つまり江戸の範囲を定めました。
それによると、

北は板橋・千住
東は亀戸(板橋区)、小名木(江東区)
西は現在の山手線内

と定められています(図2)。


図2 1818年に定められた江戸の範囲
出典:*3 江戸歴史研究会(2019)『江戸のひみつ 町と暮らしがわかる本 江戸っ子の生活超入門』 p.11

この地図の「御城」は江戸城、つまり現在の皇居で、その南には「江戸前」と呼ばれた江戸湾、現在の東京湾が広がっています。

この地図の朱線で囲まれた部分が「江戸御府内」、黒線で囲まれた部分が町奉行の支配範囲です [3]。

次に、人口はどのくらいだったのでしょうか [4]。
調査が行われた1721年(享保6年)には、町人の数は50万1,394人。
武家と公家は調査が行われなかったため正確な数は把握できませんが、50万人は優に超えていたと推測されています。

したがって、18世紀には江戸は百万都市になっていたのです。
ちなみに、当時のロンドンは約87万人、パリが約55万人で、当時、江戸の人口は世界一でした。

高度な循環型都市、江戸

では、世界的にみても大都市であった江戸で、人々はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
ここでは、3R文化にフォーカスして、庶民の暮らしぶりをみていきましょう。

江戸の町人はものを大切にし、徹底的に使い切っていました。

~衣服の仕立て直しと使いまわし~

まず、衣服についてみていきましょう [5]・[6]。

当時は着物が非常に高かったこともあり、庶民は大抵、古着を着ていました。
穴が空けば端切れで繕い、寒くなれば夏の着物に綿を入れて冬物に仕立て直しました。
大人の着物が古くなれば、子ども用に仕立て直します。
そして、いよいよ仕立て直しが難しくなったら、端切れを売ったり、雑巾やおむつにして、使い切りました。

このように、着物は仕立て直しをして徹底的に着回し、使い回し、使い切りました。
古着を着るのは、リユース。
仕立て直しや雑巾、おむつとしての使いまわしは、広い意味でのリサイクル。
そして、こうした徹底的な使い切りは、リデュースです。

下の図3は、こうした衣服に関する3Rの状況を表しています。


図3 衣類に関する3R
出典:*2 歴史ミステリー」倶楽部(2015)『図解!江戸時代』「第2章 江戸の暮らし方―住居とインフラ、暦と貨幣」>最後の最後まで使い切る!江戸っ子の「超捨てない生活とは」

~紙と灰のリサイクル~

次に紙と灰についてみていきます [5]。

江戸時代は紙を大量に消費していましたが、庶民が利用したのは「浅草紙」と呼ばれる再生紙でした。
書き古しの紙や鼻紙(今でいうティッシュ・ペーパー)、あるいは町に落ちている紙くずを紙くず屋が集め、紙くず問屋が漉き直して再生紙を作り、それをまた売っていました。
それが、「浅草紙」です。

次に、灰の利用です [6]。
当時はかまどや炉を使っていましたが、そこに溜まった灰を「灰買い」と呼ばれる業者が集め、売っていました。

灰の利用法はさまざまでした。
畑の肥料、台所の洗剤、シャンプー、陶芸の仕上げの釉、染色の色止め(色落ち防止)・・・。
さらに、すり傷や切り傷に塗って止血をしたり、傷口を乾かしたり。

古紙から再生紙を作るのも、灰の利用もリサイクルです。
しかも、リサイクルに必要なエネルギー源は人力のみで、CO2排出はゼロ。
クリーンでした。

~エコな下肥処理~

江戸のトイレは汲み取り式でしたが、大用と小用に分かれていました [7]。
それは、江戸近郊の農民が排泄物を2種類に分けて買い取っていたからです。

化学肥料のなかったこの時代、人間の排泄物は農作物を育てるための貴重な肥料でした。
そのため、江戸の排泄物は農民によって買い取られたり、野菜と交換されたりして、すべて農家へと運ばれていきました。
馬糞も集められ、同様に農業の肥料に利用されていました。

図4 江戸と近郊の農村の関係     図5 江戸から農村へと下肥を運んだ専用船
出典(図4):*2 歴史ミステリー」倶楽部(2015)『図解!江戸時代』「第2章 江戸の暮らし方―住居とインフラ、暦と貨幣>なんと排泄物がお金に化ける!江戸が清潔に保たれた驚きのシステム」
出典(図5):*3 『江戸歴史研究会(2019)『江戸のひみつ 町と暮らしがわかる本 江戸っ子の生活超入門』 p.20

こうしたシステムによって、江戸の町は常に清潔に保たれていました。
それと対照的に、18世紀のロンドンではテムズ川に排泄物や工場の排水が流れこみ、その汚染や悪臭が社会問題になっていました。

江戸のこうしたリサイクル・システムは江戸の衛生環境を保つのにも役立っていたのです。

~さまざまなリサイクル・修繕業者~

これまでみてきたように、徹底した循環型社会であった江戸には、この他にもさまざまなリサイクル業者が存在していました。

その中には、抜け毛を集める業者、ろうそくの燃え残りを買い取る業者さえありました。
また、壊れた傘や履物、提灯などもすぐには捨てず、修繕して長い間、使っていたため、さまざまな修繕業者も存在しました。

下の表1は、江戸市中にあったリサイクル・修繕業者の一部をまとめたものです。

表1 江戸のリサイクル・修繕業者

出典:*3 『江戸歴史研究会(2019)『江戸のひみつ 町と暮らしがわかる本 江戸っ子の生活超入門』「 第1章 江戸の町はこのように成り立っていた<百万都市に発展した江戸 高度なリサイクル社会だったって本当?」

これまでみてきたように、江戸の町は3Rのリデュ―ス、リユース、リサイクルのすべてが備わった、高度な循環型社会でした。

ただし、ゴミが全く出なかったというわけではありません [5]。
人口の増加に伴い、ゴミの量も増加していきました。
そこで、1655年(明暦元年)には隅田川河口の永代島が、1730年(享保15年)には深川の越中島がゴミ捨て場に指定されました。

ゴミ捨て場となった島は、その後、埋め立てられ、田畑や町場になっていきました。

江戸のエネルギー源と消費エネルギー

では、江戸のエネルギー源は何だったのでしょうか。
また、エネルギー消費はどの程度だったのでしょうか。

~上水道のしくみ~

まず、大切なインフラである上水道についてみてみましょう [8]。

先ほどみたように、江戸の町は18世紀には既に100万都市に成長し、町人が生活するためには大量の水が必要でした。
ところが、市街地は埋立地だったため、井戸を掘っても上質な水は得られません。
さらに、面積が広いわりには運河も少ないという厳しい状態でした。

そこで、幕府は、井之頭池を水源とする神田上水と、多摩川を水源とする玉川上水という水道網を建設しました。
市中の水道管の長さは150㎞に達し、市街地面積の60%に給水するという世界最大規模の上水道でした。

注目すべきは、この巨大システムの方式です。
それは、上流から流れる水を地下の水道管によって排水するというもので、水の重力を利用した巧妙な排水法でした。

このように、巨大都市江戸を支える上水道も自然の力を上手く利用したエコシステムで、循環構造が成立していたのです。

~エネルギー源と消費エネルギー~

では、この時代、生産や産業の動力は何だったのでしょうか [9]。
また、消費エネルギーはどの程度だったのでしょうか。

まず、手工業についてみてみましょう。

生産や産業を支えていた動力はその大部分が人力でした。
また、商品の材料である植物の大部分は太陽エネルギーで育ちます。
さらに、陶磁器や金属の原料となる鉱物の精錬や加工も人力が動力です。

燃料は薪炭、つまり木を伐って作る炭です。
薪炭を作る際にも、薪炭を燃やして生産活動をする際にも、CO2は排出されますが、その量それは木が空気中から吸収するしたCO2の量を上回ることはないためを再び排出していることになるので、薪炭はカーボン・ニュートラルな燃料でした。

したがって、この時代の手工業はクリーンな自然エネルギーを使い、消費エネルギーを極めて低く抑えながら、生産や産業活動を行っていました。つまり非常に高いエネルギー効率を誇っていたのです。

それにもかかわらず、この時代に作られた製品はどれも完成度が高く、手作業だけで製造された商品は市場に安定供給されていました。

ただ、このような生活には、高度の熟練と体力が必要で、今と比べればその生活は大変、不便だったことは確かです。
また、時間あたりの労働生産性は現在とは比べものにならないくらい低いはずです。

~農業のエネルギー源は自然と人力・牛馬のみ~

次に、当時の最大の産業であった農業について考えてみましょう [8]。

農業も現在ではほとんど機械化されていますが、かつては動力の99%が人力でした。
力仕事に牛や馬を使ったり、精米や粉引きなどに水車を使うこともありましたが、それ以外はほとんどが人力頼りでした。

農作物は太陽エネルギーを浴びて育ちます。
肥料でさえ人間や馬の排泄物、つまり循環型資源です。

このように、当時は農業も、自然エネルギーと人力で回す循環型産業でした。

江戸の町から私たちが学ぶべきこととは

これまでみてきたように、江戸時代は主に自然エネルギーと人力で産業が成り立ち、エネルギー効率が極めて高い、究極の循環型社会でした。
江戸の町も、循環型システムが確立した社会でした。

ただ、それが望ましいものであったとしても、現実問題として、私たちが200年、300年前の生活に戻れるわけではありません。
今の快適な生活を捨てて、すべて人力で賄う生活に切り替えることは到底、無理でしょう。
電気のない生活、スマホを使わない生活に耐えることができるでしょうか。

それどころか、現在、科学の進歩は加速度を増し、産業構造ばかりか社会構造そのものにも大変革が訪れようとしています。
こうした状況の下、私たちのライフスタイルにも、今後さらに大きな変化が生じるのは間違いありません。
利便性追求の動きは、もはや止めることができないとみていいでしょう。

では、「江戸の町が究極の循環型社会であった」という事実、江戸の町の人々の暮らしぶりから、私たちは一体、何を学ぶべきでしょうか。

確かなのは、まず、「事実」を知ることが必要であるということです。
その事実とは、私たちが現在、置かれている状況です。

そこで、改めてここで日本のエネルギー事情を確認したいと思います。

以下の図6は、主要国の一次エネルギ―自給率を、図7は日本における一次エネルギー構成の推移を、そして、図8は日本の温室効果ガス排出量の推移をそれぞれ表しています。

なお、一次エネルギーというのは、自然から得た加工していないエネルギーを指します。それに対して、一次エネルギーを使って発電所で作られる電気などは二次エネルギーと呼ばれます。

図6 主要国の一次エネルギー自給率
出典:*5 経済産業省資源エネルギー庁(2020)「日本のエネルギー2019 エネルギーの今を知る10の質問」 p.1
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2019.pdf

図6から、日本はエネルギー自給率が極めて低い国だということがわかります。


図7 日本における一次エネルギー構成の推移
出典:*5 経済産業省資源エネルギー庁(2020)「日本のエネルギー2019 エネルギーの今を知る10の質問」 p.1
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2019.pdf

図7からは、日本の一次エネルギーは化石燃料依存度が極めて高いということがわかります。
ただし、「再生可能エネルギー等」の割合は少し高くなってきています。

 


図8 日本の温室効果ガス排出量の推移
出典:*5 経済産業省資源エネルギー庁(2020)「日本のエネルギー2019 エネルギーの今を知る10の質問」 p.5
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2019.

図8からわかることは、温室効果ガスの排出量は、東日本大震災後、一旦、増えたものの、現在は震災前の水準にもどっていることです。
ただし、エネルギー起源のCO2排出量が非常に高い割合を占めているということもみてとれます。

以上、立て続けに3つのグラフによって現在のエネルギー事情をみてきました。
これらの情報からわかるのは、現在の深刻な状況です。

最後に、もうひとつ、グラフをみたいと思います(図9)。

図9 消費ベースでみた日本の温室効果ガス排出量の内訳(2015年)
出典:*6 環境省(2020)「令和2年版 環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書 (概要) 」 p.15 http://www.env.go.jp/policy/200630_R02hakusho_gaiyou.pdf

図9は、消費ベースの温室効果ガス排出量の内訳を表しています。

消費ベースの排出とは、輸入品も含め、消費する製品やサービスのライフサイクル―資源の採取から、素材の加工、製品の製造、流通、小売、使用、そして廃棄に至るまでのすべてのプロセスにおいて生じる温室効果ガスの排出のことです [10]。

この図からわかるのは、家庭由来の排出量が全体の約60%を占めているという事実です。

江戸の町の状況をみた後では、こうした現在の状況はコントラストが効いてみえます。
3Rおよびエネルギー状況という観点から眺めると、私たちの社会は江戸の町の対極に位置しているのです。

江戸の循環型社会を知ることは、私たちにそうした認識をもたせてくれます。

江戸の循環型社会を営んでいたのが江戸の町民であったように、現在こうした状況にある社会を営んでいるのは、私たち自身に他なりません。
そのことを心に刻み、課題を解決するためにはどうしたらいいのか、今こそ考える必要があるのではないでしょうか。

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参照・引用を見る

*1
環境省HP「3Rまなびあいブック 大人向け(2015年改訂版)」https://www.env.go.jp/recycle/yoki/b_2_book/pdf/otona/00_3r_manabiaibook_otona.pdf

*2
「歴史ミステリー」倶楽部(2015)『図解! 江戸時代』三笠書房(電子書籍)

*3
江戸歴史研究会(2019)『江戸のひみつ 町と暮らしがわかる本 江戸っ子の生活超入門』 メイツ出版株式会社(電子書籍)

*4
『江戸時代はエコ時代』講談社(講談社文庫、電子書籍)

*5
経済産業省資源エネルギー庁(2020)「日本のエネルギー2019 エネルギーの今を知る10の質問」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2019.pdf

*6
環境省(2020)「令和2年版 環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書 (概要) 」(2020年6月) http://www.env.go.jp/policy/200630_R02hakusho_gaiyou.pdf

[1]
*1:pp.4-5

[2]
*2:「第1章 江戸の開発 将軍の町の基本>拡大の一途をたどる江戸の市街地に、朱線を引いて決められた『御府内の範囲』」

[3]
*3:pp.10-11

[4]
*2:「第1章 江戸の開発 将軍の町の基本>18世紀には100万人を突破? 世界で最も人口が多かった江戸!」

[5]
*2:「第2章 江戸の暮らし方―住居とインフラ、暦と貨幣>最後の最後まで使い切る! 江戸っ子の超捨てない生活とは」

[6]
*3:pp.20-21

[7]
*2:「第2章 江戸の暮らし方―住居とインフラ、暦と貨幣>なんと排泄物がお金に化ける! 江戸が清潔に保たれた驚きのシステム」

[8]
*4:「太陽だけで回る」

[9]
*4:「きわめて高いエネルギー効率」

[10]
*6:p.15

  • 注キャプチャ

https://drive.google.com/drive/u/0/folders/1tCE0a6LQOMpLFvBQ7wReVJJcuqCAQrwP?lfhs=2

 

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<水道関係図ご提案>


東京都水道局「玉川上水の歴史」>「江戸市中の主要桶筋(水道網)」
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/kouhou/pr/tamagawa/rekishi.html

国立公文館デジタルアーカイブ「上水記 巻2 玉川上水水元絵図並諸枠図」
https://www.digital.archives.go.jp/das/image-l/M2010021620310347012

 

東京都立図書館「神田上水々元絵図」
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=5404

 

 

 

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