近年、地球温暖化を防ぐ手段として注目を集めている排出量取引制度。排出量取引制度は、市場原理によって炭素価格が決定するため、効果的な手段として国内外で導入されつつあります。
一方で、排出量取引における炭素価格は、CO2排出枠を買いたい人と売りたい人の需給バランスによって決まるため、取引価格が変化しやすく、国内外で上昇傾向にあります。
それでは、国内外の排出量取引市場において、炭素価格はどれほど上昇しているのでしょうか。また、炭素価格は今後どれほど上昇すると予測されているのでしょうか。
炭素価格とは
炭素価格(カーボンプライシング)とは、企業などが排出するCO2に付ける値段のことを言います。炭素価格は、排出量取引制度や炭素税といった、CO2排出量を国や地域全体で一定量まで抑えるための施策に用いられているものであり、炭素価格が設定された国や地域では、事業活動によって排出された炭素量に応じて、企業は税金などの費用を支払う必要があります[*1]。
排出量取引と炭素税の違い
炭素価格は、炭素税制度や排出量取引制度においてCO2排出量に対して設定される価格ですが、炭素価格の設定方法や税等を負担する対象が異なります。
炭素税とは、政府が税率を設定して企業や家庭に対して排出量に応じて税金を課す制度です。あらかじめ排出量に対して税率を政府が設定するため、制度がシンプルで分かりやすく導入しやすいというメリットがあります[*1]。
一方で、排出量取引とは一般的に、政府があらかじめ各企業のCO2排出量の上限を設定し、上限を超えた企業が、上限内に収まった企業の排出量の余剰分の枠を買い取る制度です(図1)。
図1: 排出量取引のイメージ
出典: 国際環境経済研究所「排出量取引制度(キャップ&トレード)とは?」
https://ieei.or.jp/2016/09/special201608008/
排出量取引の場合、政府が排出量の上限をいくらに設定するかによって、価格は大きく変動します。また、売り手と買い手がどれだけいて、どの程度の排出量を取り引きしたいかによっても取引価格は変動するため、炭素税と比較すると複雑な制度です。
排出量取引の仕組み
排出量取引に向けた大まかな流れですが、まず、国や地域によってその域内におけるCO2削減量(排出枠)目標が定められます(例えば、域内のCO2排出量を前年度比10%削減するなど)[*2]。
次に、各企業の削減すべき排出枠を分配する方式を決定します。排出枠の分配方法として、各企業の排出実績に基づき無償で排出枠を割り当て、各企業が市場で売買を行う「グランドファザリング方式」や、公開入札により各企業が排出枠を購入する「オークション方式」、業種ごとに排出量の平均値を参考に基準を作り、それに応じて分配する「ベンチマーク方式」などがあります[*3]。
方式が決定したら運用となりますが、各企業が事業活動を行った結果、排出枠と実際の排出量に差が生じることがあります。その余剰分・不足分については企業間の売買によって排出枠の調整が図られます。これが、排出量取引における一連の流れとなります。
日本における排出量取引の現状
CO2排出量削減に向けた取り組みとして行われる排出量取引ですが、日本では、どのように排出量取引が行われているのでしょうか。
現在日本では、国全体での排出量取引は実施していません。その代わり、東京都や埼玉県のように、都道府県単位で導入されています。
東京都における排出量取引制度
例えば、東京都では、2050年までにCO2排出量実質ゼロを目指すため、「温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(キャップ&トレード制度)」が2010年4月から開始されました[*4]。本制度は、CO2排出量が多い大規模事業者(業務・産業部門)を対象として、一定期間での個々の事業所の排出量削減を目的としています。
事業者による排出量削減の手段として、自らの事業所で削減するほか、自らの次の計画期間の排出枠を前借りする「バンキング」という方法と、排出量取引による排出枠のやり取りがあります(図2)。
図2: 総量削減義務履行の手段
出典: 東京都環境局「大規模事業所に対する温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(東京都キャップ&トレード制度)」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/overview/movie_data.files/seidogaiyou_pamphlet_202104.pdf, p.4
CO2排出権取引には、「超過削減量」や「クレジット」が用いられており、図3のような流れに沿って、5つのクレジット等のどれかを活用してやり取りが行われています(図3,4)。
図3: 取引の流れ
出典: 東京都環境局「大規模事業所に対する温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(東京都キャップ&トレード制度)」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/overview/movie_data.files/seidogaiyou_pamphlet_202104.pdf, p.7
図4: 利用可能なクレジット
出典: 東京都環境局「大規模事業所に対する温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(東京都キャップ&トレード制度)」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/overview/movie_data.files/seidogaiyou_pamphlet_202104.pdf, p.7
図4の1つ目の「超過削減量」は、東京都の排出量取引制度の該当事業者同士によるやり取りを行うクレジットになります。「超過削減量」は東京都キャップ&トレード制度独自の取り組みですが、➁から⑤のように外部のクレジットも利用可能です。
例えば、2つ目の「都内中小クレジット」とは、東京都内の中小規模事業所が省エネ対策により削減した分を排出枠として、大規模事業者に販売できる制度になります。都内中小クレジットは、要件に合致した事業所であればクレジットとして認定を受けることができ、排出枠が不足する事業者と取引をすることができます[*5]。
次に、「再エネクレジット」とは、太陽光発電や風力発電、地熱発電、バイオマス発電、水力発電のような再生可能エネルギーによって発電した電力を環境価値として換算し、環境価値を「再エネクレジット」として取引できる制度になります[*6]。
「都外クレジット」とは、東京都以外の大規模事業所の省エネ対策による削減量を取引できる制度であり、「埼玉連携クレジット」とは、埼玉県独自の制度として、埼玉県で認定された超過削減量等を取引できる制度になります(図4)。
東京都キャップ&トレード制度による排出量削減効果
2010年4月から開始した東京都キャップ&トレード制度ですが、開始以前の基準年と比較すると、対象事業所の総CO2排出量は年々減少しています (図5)。
図5: 対象事業所の総CO2排出量の推移
出典: 東京都「キャップ&トレード制度 第二計画期間4年度目の実績」
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/03/26/08.html
このように、排出量取引制度は市場原理によって運営される排出量削減の手法として、効果的な制度と言えます。
J-クレジット制度における炭素価格推移
日本では、再生可能エネルギーの活用や省エネ設備の導入によって削減したCO2等の排出量をクレジットとして国が認証するJ-クレジット制度が行われています(図6)。
図6: J-クレジット制度の概要
出典: 経済産業省「J-クレジット制度」
https://www.meti.go.jp/policy/energy_environment/kankyou_keizai/japancredit/index.html
2013年から開始したJ-クレジット制度ですが、J-クレジットの大口活用者向けに実施された過去11回の入札販売では、平均販売価格は年々上昇しています(図7)。
図7: J-クレジットの入札販売結果推移
J-クレジット制度事務局「J-クレジット制度について(データ集)」
https://japancredit.go.jp/data/pdf/credit_002.pdf, p.14
再エネ発電と省エネ他に分けて入札を開始した第4回入札時には、再エネ発電のCO2換算1トン当たりの炭素価格は1716円でした。その後、炭素価格は年々上昇しており、第11回入札時には、1トン当たり2536円まで上昇しています(図7)。
価格上昇の理由としては、J-クレジットを売却する供給側の電力量に対して、J-クレジットを購入したい需要側の要望量が多いためです。特に、使用する電力を全量再生可能エネルギーで賄うことを目指す「RE100」に加盟する企業のJ-クレジットへの参加が、2019年末時点で30社だったのが、2021年には56社まで増加しています。今後も企業のJ-クレジットへの需要は高まるとされ、将来的には3000円を超える可能性も指摘されています[*7]。
海外における排出量取引の現状
日本では、環境意識の高まりにより、排出量取引制度を活用する事業者が増加しており、排出量取引制度における炭素価格は年々上昇しています。それでは、海外における排出量取引や、炭素価格はどのようになっているのでしょうか。
2021年4月時点で、世界全体で計64もの国や地域で炭素税や排出量取引制度による炭素価格(カーボンプライシング)が導入されています[*8]。炭素税は35もの国や地域、排出量取引制度については29もの国や地域で行われており、どちらかのみを導入する国もあれば、スウェーデンやノルウェーなど北欧諸国やスイス、フランスのように炭素税、排出量取引制度どちらも導入している国もあります[*9]。
1990年にフィンランドとポーランドで炭素税がスタートしたのを皮切りに、その後はEU諸国を中心に、様々な国や地域で炭素価格が活用されるようになってきています。2010年以降、東京都やカリフォルニア州、オーストラリアなどEU諸国以外の国や地域の参加も増えてきており、近年は開発途上国における導入も増加しています[*9]。
また、排出量取引制度におけるCO2換算1トン当たりの炭素価格(米ドル)については、EUで50ドル、スイスで46ドル、韓国では16ドルなど各国価格にばらつきがあります[*8]。
EUにおける炭素価格推移
以上のように、各国で異なる炭素価格ですが、各国における価格の推移はどうなっているのでしょうか。
まず、排出量取引制度を世界で初めて導入したEUでは、2018年以降、炭素価格は上昇傾向にあります(図8)。
図8: EUにおける排出量取引炭素価格の推移
出典: 日本貿易振興機構「世界で導入が進むカーボンプライシング(前編)炭素税、排出量取引制度の現状」
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2021/0401/946f663521dac9af.html
2018年1月時点で7.83ユーロであった炭素価格が、2021年9月には、61.29ユーロまで上昇しています。特に、2020年9月に、欧州委員会が2030年の温室効果ガス排出削減目標を1990年比で少なくとも55%まで削減すると公表して以降、入札側の需要が高まり、価格が上昇しています[*10]。
また、EUでは域内品だけでなく、今後は輸入品に対してもCO2排出量に応じた「国境炭素税」を課すことを検討しています。国境炭素税はEUへ商品が輸入される際、CO2排出量分の炭素価格が上乗せされる制度ですが、WTO(世界貿易機関)違反となる可能性もあり、制度設計については現在検討がなされている段階です[*11]。
WTO違反を回避するため、EU排出量取引制度を活用しようとする案もあり、輸入品についても排出量取引制度を活用するとなると、需給バランスがさらに崩れ、炭素価格がさらに上昇することが予想されます。
中国における炭素価格推移
中国では2013年以降、北京市、上海市、天津市、重慶市、湖北省、広東省、広東省深セン市の7つの省・市で排出量取引が実施されていましたが、2021年7月16日から、全国を対象とする排出権取引が開始されました[*12]。
7つの省・市で取引されていた炭素価格は、過去2年でCO2換算1トン当たり約40元(約680円)前後でしたが、7月16日に開始して以降、全国での排出権取引市場での取引価格を見ると、1トン当たり約50元から60元で推移しています(図9)。
図9: 全国排出権取引市場の動向
出典: MUFG バンク(中国)経済週報「全国炭素排出権取引市場の最新動向全国炭素排出権取引市場の最新動向」
https://reports.mufgsha.com/File/pdf_file/info001/info001_20210803_001.pdf, p.3
また、環境意識の高まりによって排出権取引の需要が高まり、市場がさらに拡大すると予測されます。それに伴い、炭素価格も上昇すると予想されています。
図10: 全国排出権取引炭素価格の推移予測
出典: China Carbon Forum「2020 CHINA CARBON PRICING SURVEY」
http://www.chinacarbon.info/wp-content/uploads/2020/12/2020-CCPS-EN.pdf, p.28
中国カーボンフォーラムが発表した報告書によると、2025年には1トン当たり平均71元、2050年には167元まで上昇すると予想されています(図10)。
今後も炭素価格は上昇するものと予測される
ここまで、日本のJ-クレジット制度やEU、中国の炭素価格の推移等について見てきました。3か国とも取引需要が高まる一方で、供給が間に合っていないため、炭素価格は上昇しています。
また、地球温暖化を防止するため各国は様々な施策や規制を実施していますが、その手段の一つとして、排出量取引制度はさらに普及すると予測されます。一方で、需要に対して供給が追い付かず、今後も継続的に炭素価格は上昇するとされています。
企業は環境負荷の少ない商品を作ることによって、炭素価格の上昇による影響も受けにくく、よりスムーズに国際貿易を行うことができるようになるでしょう。また、EUのように炭素価格を設定する国や地域も出てくることが予想される中で、今以上に環境配慮型の商品の開発・提供が求められています。
日本では、排出権取引制度は現在東京都など一部地域のみでしか運用されていません。今後は政府が国全体で制度を運用し、企業による環境配慮型商品の開発や生産工程の見直しを支援することがカギになると言えるでしょう。
参照・引用を見る
*1
日本経済新聞「炭素価格とは 排出量取引市場、欧州で先行」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC192SZ0Z10C21A7000000/
*2
脱炭素チャンネル「排出量取引とは何か?仕組みや現状、今後の課題をわかりやすく解説!」
https://datsutanso-ch.com/credit/capandtrade.html
*3
情報・知識&オピニオン imidas「グランドファザリング方式」
https://imidas.jp/hotkeyword/detail/F-00-304-08-03-H008.html
*4
東京都環境局「大規模事業所に対する温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(東京都キャップ&トレード制度)」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/overview/movie_data.files/seidogaiyou_pamphlet_202104.pdf, p.2
*5
東京都環境局「総量削減義務と排出量取引制度 都内中小クレジット」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/measure/credit/index.files/guideline_chushou_credit_panfu1204.pdf. p.2
*6
東京都環境局「総量削減義務と排出量取引制度における再エネクレジット*算定ガイドライン」
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/climate/large_scale/authority_chief/verification_chief/saieneh3002.files/guideline_saiene_credit_santei170401_.pdf, p.4, p.5
*7
リム情報開発株式会社「Jクレジット=RE100企業の買い殺到、入札価格急騰も「まだ安い」」
https://www.rim-intelligence.co.jp/news/news-domestic/1688210.html
*8
日本貿易振興機構「世界で導入が進むカーボンプライシング(前編)炭素税、排出量取引制度の現状」
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2021/0401/946f663521dac9af.html
*9
World Bank「State and Trends of Carbon Pricing 2021」
https://openknowledge.worldbank.org/bitstream/handle/10986/33809/9781464815867.pdf?sequence=4&isAllowed=y, p.10, p.11, p.12
*10
日本貿易振興機構「欧州委、2030年の温室効果ガス55%削減を提案」
https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/09/5b535e4e83077804.html
*11
毎日新聞社「EUが「輸入品に炭素税」日本製品にも影響か=有村俊秀」
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200317/se1/00m/020/043000c
*12
日本貿易振興機構「発電事業者を対象とする全国レベルの排出権取引を7月16日から開始」
https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/07/b777bd16d63259b2.html