世の中には、論理的な思考だけでは解決できない課題が多くあります。そういった課題に対する新しい思考法として、「デザイン思考」が重要視されてきています。
様々な関係者が協働しながら、利用者でさえ気づいていない「真の課題」を見い出し、試行錯誤しながらアイデアをブラッシュアップすることによって解決を図る方法です。また、その過程では必ずしも論理的には導き出せないストーリーやアイデアが重視されます。
デザイン思考は、解決が困難な社会問題について考えるのに適した手法だと言えます。
この記事では、デザイン思考とは何かを説明した上で、国内外におけるデザイン思考を活用した取り組みを紹介し、社会問題の解決に貢献する可能性について述べます。
デザイン思考で何ができるのか
デザイン思考を活用すると、どのようなことができるのでしょうか。デザイン思考の概要と、注目されている背景を説明します。
デザイン思考とは何か?
デザイン思考とは、デザインを行う際に特有のプロセスを使って、問題を定義し、解決策を探す思考法のことです。
ユーザーのニーズを検証し、「共感」「満足」をキーワードとして課題を発見し、固定観念や前例にとらわれないアイデアを作り出して、問題解決を目指します[*1], (図1)
図1: デザイン思考の5つのステップ
出典: 公益財団法人山梨総合研究所主任研究員 小林 雄樹「Vol.232-2 デザイン思考による地域課題解決」
https://www.yafo.or.jp/2017/11/30/9015/
図1は、 デザイン思考のステップを示しています。デザイン思考はまず共感からスタートします。当事者に共感し、求めているものを理解し、問題を定義します。次に多様なアイデアを創造し、問題解決のために解決法を試作し検証を行います。
例えば、喫緊の社会課題の一つである環境問題は、より多くの利益を生み出すために大量生産し、天然資源を枯渇させてしまう社会経済構造によって発生しています。そのため、これまでの社会を想定した既存のフレームワークではなかなか解決に向かいません。解決の糸口が見つけられないでいる間に、ますます問題が深刻化してしまいます。
そこで注目されるのが、デザイン思考という新しい発想法を活用した取り組みです。
デザイン思考が注目されている背景
近年では、ビジネスにおいてもデザイン思考が注目されています。その背景には、市場構造の変化があります。これまでのマーケティングに基づく製品開発という手法では、予測不可能性が高まっている社会において、ビジネスを発展させることが難しくなってきたのです。
企業は、デザイン思考を活用して、課題を発見し、解決策を作り出して、新しい価値を生み出す必要に迫られています。
また、政府がデザイン思考を推進していることも、普及の追い風となっています。2018年の経済産業省の「DXレポート」では、企業に必要なのは「ユーザー起点でデザイン思考を活用し、UX(ユーザーエクスペリエンス)を設計し、要求としてまとめあげる人材」であると述べています[*2]。
さらには、デザイン思考を軸にした経営を「デザイン経営」と言いますが、経済産業省と特許庁は合同で「『デザイン経営』宣言」を取りまとめています。
革新的な技術にデザインが介入して、新しい価値に結びつけることが「イノベーション」であるという考え方です[*3]。
つまり、社会のニーズを見極めて、技術を活用して問題解決につなげるのがデザイン思考の役割なのです(図2)。
図2: 技術を活用して問題解決につなげるデザイン思考の役割
出典: 経済産業省・特許庁「『デザイン経営』宣言」
https://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_01.pdf, p.2
従来日本では、「技術革新」つまり最新の研究や技術の開発こそがイノベーションという認識がありました。ただ、実社会の問題解決になかなか反映されず、研究や開発が無駄になりかねない「死の谷」が存在していました。
そうではなく、実際のユーザー目線で新しい技術研究・開発を進め、この「死の谷」を克服するための新しい考え方が必要であり、これを結ぶのが「デザイン思考」です。
技術発展を社会課題の解決につなげる場合にも、このデザイン思考を利用することができます。
デザイン思考を活かしたの取り組み
デザイン思考がどのように社会で利用されているのか。まず、海外での事例を紹介します。
海外における事例
<途上国で生まれた飲料水の販売ネットワーク>
企業として積極的にデザイン思考を取り入れている世界的デザインコンサルタント会社IDEOは、非営利デザイン組織IDEO.orgを立ち上げ、貧困問題や気候変動問題に取り組んでいます。
ケニア・ナイロビでは、ユニリーバやNGOと共同で、スラムで清潔な飲料水を販売する事業「Smart Life」を実行しました。
ナイロビのスラム街では、飲料水を得るにはスラムの周囲に点在する水商人から買う以外に方法がありませんでした。しかし、商人が販売する水は法外な値段であると同時に、政府が設けた給水所で仕入れるか公営水道から直接盗んできたもので、汚れていることも多かったのです[*4]。
ナイロビの貧困層が直面している問題を把握した上でプロトタイプを作成し、現地住民へのヒアリングを重ねた結果、「水の販売所を設置する」という解決方法にたどり着きました。
ここでは、飲料水をどのように入手し、街の人にどのように届けるのがビジネスとして持続可能かを考えるのに、デザイン思考が活用されています[*5]。
販売所のロゴやグッズ制作によるブランディングで住民からの信頼を得ながら、キオスク端末を用いた事前注文システムで正規価格での取引が可能となりました(図3)。
図3: 「Smart Life」プロジェクトの拠点
出典: https://www.hakuhodody-holdings.co.jp/topics/2019/01/2038.html
<サイズの概念を取っ払ったデニムブランド>
また、デニムブランドのunspunは、3Dスキャンシステムと3D出力できる織り機を使って、デニムパンツからサイズという概念をなくしました[*6]。
それまで抱えていた問題は、ユーザーが自分の身体に合ったサイズの商品を見つけにくいことでした。
その悩みを解消するために、従来のサイズをなくし、最新のデジタル技術を用いて個々の身体にフィットしたデニムを製造するというビジネスモデルを作り出したのです。
受注生産によって在庫を持つ必要がないため、衣料の廃棄問題の改善にもつながります。
これも、ユーザーの真の課題を発見し、技術を活用して新しい価値に結びつけるというデザイン思考によるアプローチです。
<CO2排出量の削減を第一に考えた奇抜な航空機>
また、持続可能性に配慮した「Fly Responsibly(責任ある航行)」を提唱しているオランダ航空(KLM)は、デルフト工科大学との共同研究においてデザイン思考を導入し、航空機「Flying-V」の開発に取り組んでいます[*7], (図4)。
図4: Flying-Vのイメージ図
出典: TU Delft「The technology behind the Flying-V」
https://www.tudelft.nl/en/ae/flying-v/technology
一見すると奇妙なデザインではありますが、これは航空機が排出する二酸化炭素排出量の削減のために作られたモデルです。まさにデザイン思考の根本である「問題解決のための研究開発」といえます。
具体的には、燃料タンクと客室を翼の中に収めることで、機体の空気抵抗を極限まで減らし、エネルギー効率を高めるというアプローチを取っています。
その結果、エアバスの新型機「A350」と比較すると、定員はフライングVが314人に対し、エアバスA350が300~350人と大差ないものの、燃料消費量はフライングVの方がエアバスA350-900型機より20%少ないといいます[*8]。2040〜2050年に実用化される見通しです。
日本における事例
日本においても、デザイン思考で課題を解決しようとする様々な取り組みがあります。
<市民協働で解決に導いた地域の害虫問題>
愛知県長久手市では、デザイン思考を行政運営に導入して、市民とともに地域の課題解決に取り組んでいます。
市では過去に、住宅地に近い雑木林で、樹木の害虫であるカイガラムシが大量発生したことがあります。隣接する住宅地にも被害が広まり、市役所に苦情電話が殺到しました。
原因究明すると、4年前に殺虫剤を散布した結果、カイガラムシの天敵であるコバエを死滅させたことが引き金になっていると判明しました。
再び殺虫剤を散布すると、さらに生態系が崩れ、別の害虫の発生につながる可能性があります。専門家は雑木林を伐採するしか大量発生を止める手立てはないと指摘しましたが、市は住民と話し合いを重ねかつての生態系を取り戻す対応を取ることにしました[*10]。
専門家や住民といった多くの関係者を巻き込んで問題解決の方法を探るのもまたデザイン思考の特徴です。
<「見せる」ことで伝えるクリーンエネルギーの意義>
水素は、クリーンエネルギーとして注目が集まる一方で、その意義や有効性については、一般的にはあまり知られていません。
水素エネルギーを供給するシステム「H2One™」を開発した東芝は、多くの人が行き交う駅構内にあえて利用者から見えるように設置しました[*11], (図5)。
通常、インフラ設備である電源装置などは見えないところに置かれます。しかし、H2One™それ自体を媒体にすることで、社会に水素エネルギーの将来性や真の価値を伝えようと考えたのです。
なお、エネルギーの未来を示すためには無骨な箱ではあってはならないと考え、子どもたちでも絵に描けるシンプルなデザインを取り入れています。
図5: JR南武線溝ノ口駅構内のH2One™
出典: 東芝「デザイン思考×SDGs 驚きのビジネス活用術!」
https://www.toshiba-clip.com/detail/p=181
<情報の「見える化」で守る安全な登山環境>
富士登山者の安全を確保するために立ち上がったのが、一般社団法人富士山チャレンジプラットフォームによる「富士山チャレンジ」プロジェクトです。企業や団体、公的研究機関などが連携して取り組んでいます。
世界遺産にも登録されている富士山は、毎年多くの登山者・観光客が訪れる山でありながら、いつ噴火してもおかしくない活火山であり、開山期間の混雑時に噴火が発生すれば、最大で一万人以上が被災者になる恐れがあります。
当プロジェクトは、実際の登山者動態や登山道地形のデータを収集し「見える化」することで、位置情報の把握や、混雑度の確認、病気・事故・災害リスクの把握などに役立てることができるプラットフォームです。緊急時の避難誘導や救命救護に活用することも可能です[*12]。
「安全安心で、皆が楽しめる登山環境を創る」という理念に共感する人々が集まり、防災上の課題を定義した上で解決策を想起し、複数の登山道において実証実験が行われました。まさに、デザイン思考のプロセスに基づいて問題を解決に導いた事例だと言えます。
図6: 富士山における事前防災上の地域課題
出典: 富士山チャレンジプラットフォーム「富士山チャレンジとは?」
https://www.fujisanchallenge.or.jp/index.php/fc-toha/
社会問題の解決に寄与するデザイン思考の可能性
以上、国内外におけるデザイン思考の活用事例を見てきました。
デザイン思考の特徴は、問題を解決させるために論理の力を使うだけではなく、デザインによって人の情動に働きかけることにあります。共感を得るヒントを手に入れて、問題を発見し、解決に向けて試行と検証を繰り返していきます。
最近では、デザイン思考とソーシャルビジネスを掛け合わせて、SDGsに取り組む企業もあります[*14]。
問題の構造を理解した上で真の課題を発見し、新たな解決策を考えるデザイン思考の手法は、今後より多様な場面で社会問題の解決に寄与する可能性を秘めていると言えます。
参照・引用を見る
*1
スタンフォード大学ハッソ・プラットナー・デザイン研究所「スタンフォード・デザイン・ガイド デザイン思考 5つのステップ」(2012)
http://www.nara-wu.ac.jp/core/img/pdf/DesignThinking5steps.pdf, p.4
*2経済産業省「DXレポート」(2018)
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_transformation/pdf/20180907_03.pdf, p.47
*3
経済産業省・特許庁「『デザイン経営』宣言」(2018)
https://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_01.pdf, p.2
*4
ロイター「焦点:ナイロビのスラム、『自販機』がもたらす安全で低コストの水」(2021年)
https://jp.reuters.com/article/kenya-tech-water-idJPKBN2GD0IS
*5
Design Kit「SmartLife」
https://www-designkit-org.translate.goog/case-studies/4?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=op,sc
*6
unspun「FIT FOR YOU」
https://unspun.io/
*7
ニューズウィーク「次世代旅客機『フライングV』の開発をKLMオランダ航空が発表」(2019)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/vklm.php
*8
CNN.co.jp「客室も燃料も翼の中、低燃費旅客機『フライングV』KLMが開発支援へ」(2019)
https://www.cnn.co.jp/business/35139301.html
*9
オランダ航空「当社の取り組み」
https://flyresponsibly.klm.com/jp_ja#keypoints?article=whatWeDo
*10
公益財団法人山梨総合研究所主任研究員 小林 雄樹「Vol.232-2 デザイン思考による地域課題解決」(2017)
https://www.yafo.or.jp/2017/11/30/9015/
*11
東芝「デザイン思考×SDGs 驚きのビジネス活用術!」(2018)
https://www.toshiba-clip.com/detail/p=181
*12
富士山チャレンジプラットフォーム「富士山チャレンジとは?」
https://www.fujisanchallenge.or.jp/index.php/fc-toha/
*13
GOOD DESIGN AWARD「2020年度GOOD DESIGN|グッドデザイン金賞」
https://www.g-mark.org/award/describe/51151
*14
グッドパッチ「ビジネスとデザイン視点でSDGsに挑む。フードロス削減アイデア創出ワークショップを専修大学で開催」(2021)
https://goodpatch.com/blog/sdgs-design-kuradashi-senshuuniv