日本は現在、少子高齢化や大規模自然災害、地球温暖化への対策など、多くの課題を抱えています。それらの問題の解決に向けては、既存の取り組みのみならず、社会へ大きなインパクトを与える破壊的イノベーション(技術革新)の創出が求められます[*1]。
そこで政府は、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する国の大型研究プログラム「ムーンショット型研究開発制度」を、2018年に創設しました[*1, *2]。
「ムーンショット型研究開発制度」では、9つのムーンショット目標に基づき様々な研究が進められていますが、2022年3月には、目標4「地球環境の再生」の研究開発の方向性の改正として「自然プロセスの人為的加速」が新たに追加され、持続可能な資源循環の実現による地球温暖化問題の解決と環境汚染問題の解決が目指されています。
それでは、「自然プロセスの人為的加速」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。2022年9月に新しく採択されたプロジェクトを含め、詳しくご説明します。
ムーンショット目標とは
「ムーンショット目標」は、2020年1月に開催された内閣府の「総合科学技術・イノベーション会議」において、社会、環境、経済という3つの領域における「人々の幸福」の実現を目指し、掲げられた目標です[*3]。現在は9つの目標が設定されています[*3, *4], (図1)。
図1: ムーンショット目標における9つの目標
出典: 内閣府「ムーンショット型研究開発制度」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
例えば、目標2「疾患の超早期予測・予防」や目標7「健康不安なく100歳まで」は、少子高齢化や労働人口減少などに関わる社会的課題を解決するために掲げられた目標です。また、目標1「身体、能、空間、時間の制約からの解放」や目標3「自ら学習・行動し人と共生するロボット」では、人類の活動領域拡大に向けた科学技術の発展を目指しています。[*3]。
さらに、地球温暖化や資源の枯渇など環境分野における課題の解決に向けては、ムーンショット目標4「2050年までに地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現」を設定しています。具体的には、地球温暖化問題の解決(クールアース)と環境汚染問題の解決(クリーンアース)を掲げ、人間の生産や消費活動を継続しつつ、地球環境の再生を目指しています。
ムーンショット型研究開発制度とは
政府は、ムーンショット目標の達成に向けて、挑戦的な研究を支援する「ムーンショット型研究開発制度」を推進しています[*5]。
ムーンショット型研究開発制度では、9つの目標それぞれに対して複数のプロジェクトを統括するPD(プログラムディレクター)が任命され、その下でPM(プロジェクトマネージャー)が研究を実施しています[*5], (図2)。
図2: ムーンショット型研究開発制度のイメージ
出典: 内閣府「ムーンショット型研究開発制度とは」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/system.html
研究全体を俯瞰したポートフォリオを構築し、日本の基礎研究力を最大限に引き出す挑戦的研究開発を積極的に推進し、失敗も許容しながら挑戦的な研究開発を推進しています。
また、ステージゲートを設けてポートフォリオを柔軟に見直し、将来における社会実装を見据えた派生的な研究成果のスピンアウトを奨励しています。
ムーンショット目標4における研究開発の方向性
ムーンショット目標4における研究開発では、クールアースとクリーンアースに貢献する研究対象として、大気中からCO2を直接回収する技術「DAC(Direct Air Capture)」の実用化や、微生物など自然の力で分解可能な海洋生分解性プラスチックの開発、窒素化合物を回収して資源転換等を進める窒素循環など、いまだ開発が初期段階の技術が制度によって支援されています[*6, *7], (図3)。
図3: 2022年3月時点のムーンショット目標4におけるプロジェクト一覧
出典: 経済産業省 産業技術環境局「ムーンショット型研究開発制度(目標4)研究開発構想の改正案及び今後の運用について」
https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20220324/siryo2.pdf, p.3
「自然プロセスの人為的加速」とは
クールアースの実現に向けた取り組みとしては、既にDAC技術の研究開発が進んでいますが、2022年3月には研究開発構想が改正され、新たなプロジェクトとして「自然プロセスの人為的加速」が加わりました[*6]。
CO2を吸収し、大気中のCO2濃度を下げる技術をネガティブエミッション技術と言います。ネガティブエミッション技術には、DACのような工学的プロセスを活用してCO2濃度を下げる技術や、バイオマスなど自然の力を活用してCO2濃度を下げる技術があります[*7], (図4)。
図4: ネガティブエミッション技術の概要
出典: 経済産業省 産業技術環境局「ムーンショット型研究開発制度(目標4)研究開発構想の改正案及び今後の運用について」
https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20220324/siryo2.pdf, p.9
例えば、大気中のCO2を直接回収するDAC技術とCO2を貯留するCCS技術を組み合わせたDACCS(Direct Air Capture with Carbon Storage)は、工学的プロセスに分類されます。
一方で、植林・再生林や、遺伝子最適化によって早生かつCO2を大量吸収する植物の開発など、自然界によるCO2の吸収を人の手を加えることで早める方法を、自然プロセスの人為的加速と言います[*6, *7]。
海洋アルカリ化を除く自然プロセスを活用したネガティブエミッション技術は、DACCSなどの工学的プロセスと比較して1トン当たりのCO2削減コストが低く、また、日本は適地が多いため実施しやすいとされています[*6], (表1)。
表1: 各ネガティブエミッション技術の削減コストと削減ポテンシャル
出典: 経済産業省「『2050 年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現』
研究開発構想」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/concept4.pdf, p.13
しかしながら、実際のコストや環境負荷、技術が国内で受け入れられるかどうかなど調査や実証はこれからのため、新たな研究対象として追加されるに至りました[*7]。
「自然プロセスの人為的加速」の2つのコア技術
2022年3月の改正では、自然プロセスの人為的加速を促進するために「バイオマスによるCO2吸収」と「炭酸塩化によるCO2吸収」という2つのコア技術が明記されました[*8]。
(1)バイオマスによるCO2吸収
「バイオマスによるCO2吸収」においては、炭素の吸収速度を速める植物などの革新的バイオマス研究や、海藻・海草類によるCO2吸収を人為的に加速させるブルーカーボン分野の研究を進めるとしています[*6]。
革新的バイオマス研究とは、バイオマスを炭化し炭素を固定する技術「バイオ炭」や、ゲノム編集技術の活用により、CO2を大量に吸収する植物の開発などを指します。
また、ブルーカーボンとは、海藻や水深の浅い場所における海洋生態系に取り込まれた炭素のことで、光合成によって炭素がブルーカーボン生態系に取り込まれ、それらが枯死した後は海底に堆積することで地中に貯留されるため、CO2の吸収源として注目を集めています[*8]。
(2)炭酸塩化による CO2吸収
「炭酸塩化によるCO2吸収」については、炭酸塩化に伴いCO2を吸収する風化の性質を活用した風化促進技術が該当します。玄武岩などの岩石を粉砕・散布し、風化を人工的に促進する技術です[*6]。
自然の風化は千年~万年のスケールで行われますが、カルシウムやマグネシウム等を多く含む物質とCO2を反応させることによって、短期間で炭酸塩を作ることができます[*9]。
日本はマグネシウムを多く含む玄武岩などの鉱物資源が豊富で、風化を促進させる耕作地・森林・海岸など実施場所がそろっているため、実用化が期待されています[*6]。
2022年9月に採択されたプロジェクト
2022年9月には、自然プロセスの人為的加速の可能性を見極めるため、「バイオマスによるCO2吸収」を加速させる研究開発が3件、「炭酸塩化によるCO2吸収」を加速させる研究開発が2件、新エネルギー・産業技術総合開発機構によって採択されました[*10, *11]。
バイオマスによるCO2吸収を目指したプロジェクト事例
採択された研究開発プロジェクトの一つである「機能改良による高速CO2固定大型藻類の創出とその利活用技術の開発」は、陸上植物と比較して10倍以上のCO2吸収力を持つ大型藻類のCO2固定速度を高速化するとともに、生育した大型藻類を原料として活用することによって、持続可能な資源循環の実現を目指す取り組みです[*12]。
CO2を吸収した大型藻類から取り出したエタノールは、持続可能な航空燃料の原料として活用することを想定しており、CO2の吸収のみならず、クリーンな燃料資源の供給という面でも期待されています。
炭酸塩化によるCO2吸収を目指したプロジェクト事例
炭酸塩化によるCO2吸収を加速させるためのプロジェクトとして、「岩石と場の特性を活用した風化促進技術“A-ERW”の開発」が採択されています[*13]。
A-ERW(Advanced Enhanced Rock Weathering)は、適用地域の土地に適した方法で風化促進を行うことで、大気中のCO2を効率的に回収・固定化できる技術です[*13], (図5)。
図5: A-ERWの全体像
出典: 早稲田大学、北海道大学、京都府立大学「大気からCO2を効率的に回収・固定化する新たな風化促進技術“A-ERW”の開発」
https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/221019_pr.pdf, p.1
天然の岩石は、粉砕し、比表面積を拡大することで、岩石に含まれるカルシウムやマグネシウムなどが炭酸塩として大気中のCO2を鉱物化し、半永久的に固定化します。この自然作用を人工的に促進させる風化促進技術を活用することで、より多くのCO2を吸収することが可能になります。
鉱物化した岩石を地域で循環させることによる波及効果も期待されています。例えば、岩石を耕作地に散布すると、農作物の収量増加や養分供給、土壌の改善等につながります。また、森林傾斜地へ散布すると地滑りの抑制になり、地域内の資源循環の面でも様々な利益をもたらします。
まとめ
自然プロセスの人為的加速に取り組む研究プロジェクトの実施期間は、2022年度から2024年度までの3年間となっており、現時点でプロジェクトは折り返し地点にあると言えます[*10]。
2022年9月に採択された各技術の効果や実現可能性については、今後の研究の進展を待つ必要がありますが、例えばA-ERWでは、プロジェクトマネージャーが将来的には10億トンのCO2固定化を目指したいと発言しています[*6]。
技術が実用化されれば、大きなインパクトをもたらすムーンショット型開発研究事業。支援対象のプロジェクトとして新たに加わった、自然プロセスの人為的加速における研究動向から目が離せません。
参照・引用を見る
*1
内閣府「ムーンショット型研究開発制度の基本的考え方について」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/about.html
*2
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「『ムーンショット型研究開発事業』(中間評価)」
https://www.nedo.go.jp/content/100952984.pdf, p.2
*3
内閣府「ムーンショット目標」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/target.html
*4
内閣府「ムーンショット型研究開発制度」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
*5
内閣府「ムーンショット型研究開発制度とは」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/system.html
*6
経済産業省「『2050 年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現』
研究開発構想」
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/concept4.pdf, p.1, p.4, p.5, p.12, p.13, p.14, p.15, p.23
*7
経済産業省 産業技術環境局「ムーンショット型研究開発制度(目標4)研究開発構想の改正案及び今後の運用について」
https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20220324/siryo2.pdf, p.3, p.6, p.9
*8
国土交通省「ブルーカーボンとは」
https://www.mlit.go.jp/kowan/kowan_tk6_000069.html
*9
一般社団法人 日本経済団体連合会「炭酸塩化開発(CO2の固定化と利用に関する新技術開発)」
https://www.challenge-zero.jp/jp/casestudy/11
*10
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「NEDOムーンショット型研究開発事業で、新たに5件のプロジェクトを採択」
https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101573.html
*11
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「採択した研究開発プロジェクトとプロジェクトマネージャー、委託予定先一覧」
https://www.nedo.go.jp/content/100952116.pdf, p.1, p.2
*12
Green Earth Institute 株式会社「NEDO ムーンショット型研究開発事業『機能改良による高速 CO2固定大型藻類の創出とその利活用技術の開発』の採択決定」
https://pdf.kabutan.jp/tdnet/data/20220926/140120220926536023.pdf, p.1
*13
早稲田大学、北海道大学、京都府立大学「大気から CO2を効率的に回収・固定化する
新たな風化促進技術“A-ERW”の開発」
https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/221019_pr.pdf, p.1, p.2, p3, p.4, p.5