現在、世界各国は、脱炭素化を成長戦略と位置づけ、様々な技術開発に力を入れています。技術開発の推進に向けては、知的財産保護が不可欠です。優れた知的財産の保有は、国際的な競争力の強化にもつながるためです[*1]。
それでは、日本は各国と比較してどれほどの知財競争力を有しているのでしょうか。脱炭素技術における知的財産保護の重要性と併せて、詳しくご説明します。
知的財産とは
知的財産の概要
知的財産とは、「価値のある情報」のことです。例えば、新たに生み出された技術やアイデア、ユニークなデザイン、蓄積された技術上又は営業上の情報、ノウハウは、それ自体で価値のある知的財産と言えます[*2], (図1)。
図1: 知的財産とは
出典: 経済産業省 東北経済産業局「知的財産とは」
https://www.tohoku.meti.go.jp/chizai-enet/about_chizai/index.html
このような知的財産を、生み出した人の財産権として認め、一定期間保護するための制度が「知的財産制度」です。知的財産権のうち、「特許権、実用新案権、意匠権及び商標権」の4つを「産業財産権」と言います[*2], (図2)。
図2: 産業財産権とは
出典: 経済産業省 東北経済産業局「知的財産とは」
https://www.tohoku.meti.go.jp/chizai-enet/about_chizai/index.html
知的財産保護の重要性
知的財産制度によって知的財産権を保護することは、産業の発展に欠かせません。制度によって適切に保護されなかったとすると、新技術の発明者は他人に盗まれないよう秘密にしておこうとするでしょう[*3], (図3)。
図3: 知的財産保護の重要性
出典: 特許庁「知的財産権制度入門」
https://www.jpo.go.jp/news/shinchaku/event/seminer/text/document/2019_syosinsya/all.pdf, p.11
しかし、それでは、発明者自身がその発明を有効活用できないだけでなく、他の人が同じものを発明しようとするため、無駄な投資につながりかねません。こうしたことが起こらぬよう、発明者の権利を保護する一方で、その発明を公開して利用の機会を図ることにより産業の発展に寄与するのが知的財産制度です。
世界各国の脱炭素化に向けた取り組み
主要国の脱炭素社会実現に向けた取り組み
現在、気候変動問題への対応は世界共通の課題になっています。多くの国や地域が脱炭素社会の実現に向けた取り組みを推進しており、2022年10月時点で150以上の国や地域が年限付きのカーボンニュートラル実現を表明しています[*4], (図4)。
図4: 年限付きのカーボンニュートラルを表明した国・地域(2022年10月時点)
出典: 資源エネルギー庁「第1節 脱炭素社会への移行に向けた世界の動向」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2023/html/1-3-1.html
カーボンニュートラル目標の達成に向けて、各国で政策の立案も進んでいます。例えば、アメリカは、2030年までに温室効果ガス排出量を2005年比で50~52%削減し、2050年にカーボンニュートラルを実現することを目指しています。
目標の達成に向けて、例えば、2022年8月に、インフレ削減法が成立しました。同法では、再生可能エネルギーの導入を加速させるため、再生可能エネルギー関連の設備投資に対する投資税額控除や、生産税額控除等の施策がとられています。
また、イギリスでは、2022年4月に「エネルギー安全保障戦略」が発表されました。同戦略では、2035年までに太陽光を最大70GW(現状約14GW)、2030年までに洋上風力を最大50GW(現状約13GW)まで増加させるとしています。
日本における脱炭素社会実現に向けた取り組み
日本でも、2020年10月に「2050年カーボンニュートラル」目標や、2021年4月には「2030年度の温室効果ガス排出量を2013年度比で46%削減、さらに50%削減の高みを目指す」といった野心的な目標が表明され、達成のために様々な取り組みが行われています[*5]。
例えば、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構は、東芝エネルギーシステムズ株式会社等と連携して、福島県浪江町において再生可能エネルギー由来の電力を利用した水素を大規模に製造する実証事業を進めています[*6], (図5)。
図5: 福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)
出典: 国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「再エネを利用した世界最大級の水素製造施設『FH2R』が完成」
https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101293.html
実証事業を通じて製造から利用に至るまでCO2フリーの水素供給システムが確立されれば、水素を使用する燃料電池車などの利用拡大にもつながると言えるでしょう。
また、植物が太陽エネルギーを利用してCO2と水から有機物と酸素を生み出す光合成を模してCO2削減を図る「人工光合成」の研究も進んでいます[*7], (図6)。
図6: 人工光合成の概念
出典: 資源エネルギー庁「太陽とCO2で化学品をつくる『人工光合成』、今どこまで進んでる?」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/jinkoukougousei2021.html
人工光合成技術とは、太陽エネルギーとCO2から化学品を合成しようとする技術のことで、プラスチックの原料になるオレフィンなどを作ることができます。
人工光合成には、太陽光に反応して水を酸素と水素に分解し、そこから水素だけを取り出す「分離膜」の技術や、水素をCO2と合わせて化学合成を促す「合成触媒」の技術が必要です。
現在、これらの技術は産学官連携のプロジェクトで研究が進められています[*7]。
国際比較から見る日本の知的財産の現状
脱炭素分野における特許競争力
以上のように、各国で脱炭素化に向けた取り組みが展開されていますが、日本が脱炭素分野で世界をリードするには、技術を保護するための知財競争力を持つことが不可欠です。特に、2020年12月に策定された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」における温室効果ガス排出削減の観点から取り組むべき14の重要分野について、知財競争力を高めることが求められています[*1], (図7)。
図7: 温室効果ガス排出削減の観点から取り組むべき14の重要分野
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
知財競争力を評価する際は、特許数だけでなく、「自社がその知的財産を持つことで、他社が類似のモノをつくることを防げたか」などの視点が重要になります。
そこで、資源エネルギー庁は、各国で出願された特許を対象に、特許への注目度や特許の排他性等を評価し、それぞれの特許の残存年数とかけあわせ、企業ごとに集計した指標「トータルパテントアセット」を集計することで、国・地域別の特許競争力の順位付けを行っています[*1], (表1)。
表1: 各国の特許競争力
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
本手法において、特許への注目度は、他社閲覧回数や情報提供回数などからカウントしています。また、特許の排他性は、権利の無効を訴えられた回数(無効審判請求回数)などから算出しています。
特許競争力から見た日本の強み
資源エネルギー庁の分析結果を見ると、日本は特許競争力の観点から、多くの分野で高い知財競争力を有していることが分かります。特に、水素、自動車・蓄電池、半導体・情報通信、食糧・農林水産分野は特許競争力が第1位と、世界をリードしている産業分野と言えるでしょう[*1]。
水素産業における特許競争力
水素産業においては、トヨタ自動車株式会社や日産自動車株式会社など自動車メーカー3社による燃料電池自動車関連の特許が多くなっています[*1], (図8)。
図8: 水素産業における特許競争力の国際比較
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
特に、高スコアの特許の多くは、燃料電池に関するものであり、今後、各社の強みを合わせることで、性能をさらに高めた燃料電池を展開していくことが期待されています。
自動車・蓄電池産業における特許競争力
水素産業と同様に、国内では自動車メーカー3社が強い特許競争力を有するため、自動車・蓄電池産業においても首位に立っています[*1], (図9)。
図9: 自動車・蓄電池産業における特許競争力の国際比較
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
また、蓄電池は、充電することで電気を蓄え、繰り返し使用することができる二次電池です。スマートフォンやノートパソコンなどに内蔵されているバッテリーもその一種ですが、電気自動車などにも搭載されています。太陽光や風力などの再生可能エネルギー電源の発電時に、蓄電池に溜めておくことで電力需給の調整ができるため、再生可能エネルギーの普及には欠かせない技術です[*8]。
蓄電池市場は今後ますます拡大することが予想されるなかで、この分野における知財競争力は大きな強みになると言えるでしょう。
半導体・情報通信産業における特許競争力
半導体・情報通信産業における特許競争力も、パワー半導体などの分野で強みを持つ日本が首位となっています[*1], (図10)。
図10: 半導体・情報通信産業における特許競争力の国際比較
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
パワー半導体とは、直流を交流に変換するインバータや交流を直流に変換するコンバータなど、電力変換器を構成する最も重要な半導体デバイスの総称のことです。電気自動車や家電製品、コンピュータなどの電源部品で使用されており、従来の変換方式よりも熱エネルギーによるエネルギーロスが少ないため、省エネに貢献することができます[*9]。
特許出願人の上位50社のうち、19社も日本企業が占めており、半導体や情報通信機器分野において日本は大きな強みを有しています[*1]。
食料・農林水産業における特許競争力
植物の育成を推進することでCO2削減にもつながるため、農林畜産技術や関連器具の技術の知的財産保護も、脱炭素化には重要な取り組みの一つです。省エネ化などを進める日本の農機具メーカーの特許が強いため、諸外国を抑えて日本が首位となっています[*10], (図11)。
図11: 食料・農林水産業における特許競争力の国際比較
出典: 資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(後編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_02.html
省エネ化等を進める農機具メーカーとして例えば、株式会社クボタが挙げられます。同社は、農業機械の作業燃費改善や燃料電池化など動力の脱炭素化を目指し、製品の研究開発を積極的に進めています[*11], (図12)。
図12: 株式会社クボタが開発中の電動小型建機と電動トラクター
出典: 株式会社クボタ「2050年の『脱炭素』社会の実現に向けて 世界とともに私たちが取り組むカーボンニュートラルとは」
https://www.kubota.co.jp/kubotapress/life/carbon-neutral.html
2022年10月に同社は、大阪府堺市に基幹研究を行う研究所を開所しました。新拠点では、完全無人で農作業をする自動運転トラクターや、燃料電池を搭載したトラクターなどの研究開発を進めており、農機具のさらなる脱炭素化に向けた取り組みとして期待されています[*12]。
知財競争力の強化に向けた今後の展望
以上のように、日本は脱炭素技術の知財競争力について強みとなる分野は多く存在しますが、課題もあります。
まず、イノベーションの源泉である研究開発費が主要国と比較して低迷しているという課題が挙げられます。2020年時点で日本の年間研究開発費は、アメリカ、中国に次いで第3位ですが、他国と比べて金額の伸びが十分とは言えません。2010年から2020年にかけてアメリカの研究開発費は1.57倍、中国は2.48倍でしたが、日本はわずか1.12倍の伸びでした[*13], (図13)。
図13: 主要国における研究開発費の推移
出典: 知的財産戦略本部「知的財産推進計画2023」
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/chizaikeikaku_kouteihyo2023.pdf, p.3
また、知的財産の有効活用に向けて、外部の知識や技術を取り込むオープンイノベーションの重要性が近年高まっています。しかしながら、欧米企業と比較して日本企業の取り組み割合が低いのも課題になっています。新エネルギー・産業技術総合開発機構の調査によると、欧米企業のオープンイノベーション活動の実施率が78%に対し、日本は47%と低い水準です。
知的財産の保護を引き続き推進するとともに、研究開発の促進や知的財産の有効活用が脱炭素技術の促進に向けたカギとなるでしょう。
参照・引用を見る
*1
資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(前編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_01.html
*2
経済産業省 東北経済産業局「知的財産とは」
https://www.tohoku.meti.go.jp/chizai-enet/about_chizai/index.html
*3
特許庁「知的財産権制度入門」
https://www.jpo.go.jp/news/shinchaku/event/seminer/text/document/2019_syosinsya/all.pdf, p.11
*4
資源エネルギー庁「第1節 脱炭素社会への移行に向けた世界の動向」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2023/html/1-3-1.html
*5
資源エネルギー庁「2050年カーボンニュートラルを目指す 日本の新たな『エネルギー基本計画』」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/energykihonkeikaku_2022.html.html
*6
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「再エネを利用した世界最大級の水素製造施設『FH2R』が完成」
https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101293.html
*7
資源エネルギー庁「太陽とCO2で化学品をつくる『人工光合成』、今どこまで進んでる?」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/jinkoukougousei2021.html
*8
資源エネルギー庁「知っておきたいエネルギーの基礎用語 ~『蓄電池』は次世代エネルギーシステムの鍵」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chikudenchi.html
*9
国立研究開発法人 産業技術総合研究所「パワー半導体とは?」
https://www.aist.go.jp/aist_j/magazine/20230517.html
*10
資源エネルギー庁「『知財』で見る、世界の脱炭素技術(後編)」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/chizai_02.html
*11
株式会社クボタ「2050年の『脱炭素』社会の実現に向けて 世界とともに私たちが取り組むカーボンニュートラルとは」
https://www.kubota.co.jp/kubotapress/life/carbon-neutral.html
*12
株式会社 日本経済新聞社「クボタ、堺に基幹研究所 人員集約で開発期間3割短縮」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF266ZO0W2A021C2000000/
*13
知的財産戦略本部「知的財産推進計画2023」
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/chizaikeikaku_kouteihyo2023.pdf, p.3, p.5, p.6