この特集はgreenz.jpと自然電力が共につくっています(greenz.jpより転載)
最近思い始めたんです。私の役目は「変わり者」ってことなんじゃないかなって。
3人のお子さんを育てる主婦であり、省エネ生活研究家として多数の著書も出版しているアズマカナコさん。なんでも手を動かし、つくるのが当たり前だった昔ながらの暮らしを実践しています。
ご自宅には冷蔵庫や洗濯機といった、今では当たり前にある家電がありません。月々の電気代は5人家族でたった500円ほど。自らが心地いい暮らし方を追求し、家族とも折り合いをつけていった結果、現在の生活スタイルに行き着きました。
戦後、高度経済成長を経て、日本は経済的にも物質的にもとても豊かになりました。同時にエネルギーの需要も右肩上がり。消費のループ、利便性と効率性の追求は無尽蔵に続いています。消費に追われる生活の中、ふとしたときに疑問や虚しさを感じてしまう、という人も増えつつあるのではないでしょうか。
毎日続く暮らしの中で、どうしたら本当の意味で、持続可能で豊かな未来が描けるだろう。そのために、ひとりひとりにどんなことができるのだろう。生活の原点に立ち返ったかのように暮らすアズマさんに、そんな質問をぶつけてみました。
そして出てきたのが冒頭の言葉です。アズマさんが描く理想の未来は、変わり者だったからこその「実感」から生まれたもの。いったいなぜ、変わり者の存在が豊かな未来に必要なんでしょうか。
アズマカナコ(あずま・かなこ)
省エネ生活研究家。1979年、東京都生まれ。東京農業大学卒業。東京郊外のまちで昔ながらの暮らしを参考に、エネルギーや環境負荷の少ない暮らしを送っている。子育てする中で、布おむつに関して書かれた本がないことに気づき「布おむつで育てよう」を自費出版。メディアなどで取り上げられ、その生活スタイルも注目されるようになる。著書に「捨てない贅沢」「節電母さん」「電気代500円。贅沢な毎日」「もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活」などがある。
アズマさんのシンプルな暮らしを覗いてみよう
まずはみなさん、電気代が月々500円というアズマさんがいったいどんな暮らしをされているのか、気になりますよね。
アズマさんが暮らすのは、東京郊外の小さなまち。都内に勤め、仕事を続けたいご主人と、ずっと田舎暮らしがしたかったアズマさん。現実的な事情とふたりの希望をすり合わせた結果、すぐ近くに自然がありながら、電車の便がよく通勤しやすいこのまちに住むことになりました。
ご自宅があるのは意外にも家々が密集した住宅街。車を持たずに生活したかったため、駅や小学校、図書館、スーパーマーケットなどの生活施設まで徒歩圏内という家を探したのだそうです。
まずは台所を見てみましょう。
すっきり。みごとに、家電が何もありません。最後まで残っていた冷蔵庫も、東日本大震災を機に手放しました。冷蔵庫がない代わりに、買い物にはまめに行き、生鮮食品はその日に食べきる分だけを購入します。また、乾物や漬物、発酵食品など、常温でも長期保存が可能な食品を上手に活用しています。
乾物や梅干しなどの保存食もできる限り自分でつくります。ただし今年は、まだ小さい3人目のお子さんの世話と長雨の影響であまりできなかった、とのこと。「今やっているのはぬか漬けぐらいです」とアズマさん。ぬか漬けは毎日の食卓に並びます。
もちろん洗濯機もありません。たらいに水を入れ、固形石鹸を溶かしてお風呂場で手洗いします。しつこい汚れには洗濯板を使いますが、だいたいは手でもんで洗うだけで大丈夫。すすぎを入れてもたらい3、4杯程度の水で済むので、水道の使用量もかなり抑えられます。また、手洗いだと生地が痛まず、洋服自体が長持ちするようになった、とのこと。
そうじは中も外もほうきがメイン。手づくりしたものや実家から持ってきたものをずっと使っています。壁際にあるプランターでは、野菜も育てていました。
冬の暖房はこちらの掘りごたつのみ。電気ではなく、焚いた炭を足元に入れる昔ながらのこたつです。火を絶やさないように炭をくべなければいけませんが、慣れてしまえばそれほど大変ではなくなるそう。例年、使用するのは12月に入ってから。取材時もだいぶ冷え込んでいましたが「寒くないんですか?」と聞くと「慣れてしまえば大丈夫です。それに、なければないで厚着したり、みんな工夫するようになりますよ」とアズマさん。
電気の契約は10A。日常的に使うのはいくつかの照明とラジオ、仕事で使うパソコン、ご主人がどうしても見たい番組があるときだけ見るというテレビ、電話程度だそう。
雨水やお風呂の残り湯はタンクに貯めておき、トイレの水を流すときに利用します。雨水タンクは庭に80リットル容器を4つ連結したものを設置。1週間雨が降らないと、タンクは空になります。トイレにどれだけたくさんの水が使われているのかわかりますね。
昔懐かしのハエ取り紙もぶら下がっていました。
なんと住宅街にもかかわらず烏骨鶏とウズラを飼っています。メスであればめったに大きな声で鳴かないので、住宅街でも飼うことが可能なのだそうです。烏骨鶏は昼の間は庭で放し飼いにしていますが、暗くなると自分で家に上がり、ケージの中に入ります。
取材中にも、ナチュラルに廊下を歩いてケージに戻る烏骨鶏。か、かわいい!
いかがでしたか。ご紹介したのはほんの一部ですが、こんなふうに、物を減らし、利便性よりもシンプルであることを選んできたのがアズマさんの暮らしなのです。
原点は祖母の暮らしと山小屋での体験
アズマさんの原点にあるのは、大正生まれでもったいない精神が強かったおばあさんの存在です。真っ暗になるまで電気をつけず、水道があるのに庭の井戸から水を汲んで使うなど、昔ながらの暮らしを続けていたおばあさんを間近に見て育ちました。その後、環境問題に興味をもち、東京農業大学の地域環境科学部に進学します。
転機となったのは、登山サークルで山小屋に泊まり、電気もガスも水道もない生活を経験したこと。「意外とできるし、むしろ楽しい!」と感じたアズマさんは、祖母の暮らしを思い出し、その暮らしがどれだけ省エネで環境に優しかったのかに思い至ります。
そして、いつか自分もやってみたいと思うようになり、就職してひとり暮らしを始めたことを機に行動を開始します。当時はフルタイムで働く正社員だったため、できるところから無理なく始めていきました。
まずは電気の契約を10Aにしてみて。家電はなるべく少なく。ほうきは実家からもってきました。ごはんは鍋で炊いたり、週末に保存食をつくってお弁当のおかずにしたり。洗濯機は週末だけ、大きなものをまとめて洗い、平日はお風呂のついでに下着や靴下やハンカチなどを手洗いしていました。
このぐらいなら私もやってる! という人もいるかもしれません。アズマさんも最初から今のようにすべてができたわけではなく、徐々にシフトしていったのです。
結局、手間はプラスマイナスゼロ
昔ながらの暮らしには「利点のほうが多い」とアズマさんは言い切ります。手間や時間はどうしてもかかると思うのですが、それでもそう思う理由はなんなのでしょうか?
たとえば、やってみたらすごく省エネだし、無駄がない。食べ物も皮や種まで丸ごと使えば捨てる部分が少ないし、鶏は野菜くずを食べてくれて、その糞が肥料になる。みんな循環しています。
エアコンはありませんが、普段から多少の暑さや寒さに慣れることで、体が丈夫になって、環境の変化に強くなりました。掃除も洗濯も手足を使い身体を動かすので運動不足解消になるし、夜も暗いから自然と眠くなってすぐに眠れます。
食事もそうですね。暑いときは、体の熱を冷ましたり、水分を多く含んだ食べ物を身体が要求するようになるなど、自然と旬のものをとりたくなります。こういう暮らしは健康にとってもいいんだなということはすごく実感しています。
そして「昔ながらの暮らしは手間や時間がかかる」という一般的な認識にも、アズマさんは「けっしてそればかりではない」と話します。
洗濯機があったときは、定期的に洗濯槽のカビの掃除をしなきゃいけなかったり、簡単に動かせないので、洗濯機の下や裏側のほこりが取りにくかったり。掃除機も収納に場所をとるし、本体の中の掃除をするのが大変。何か不具合があったら、自分で修理もできず、買い替えないといけませんでした。でも今はそういう手間がなくなってすごく楽。だから、よくよく考えると家電をなくしたから損してるって感じはないんです。
結局、手間はプラスマイナスゼロで、家電を使っても使わなくてもそんなに変わらないんじゃないでしょうか。
今この瞬間、冷蔵庫や洗濯機、掃除機がなくなったら、ちょっと大変かも。でも視点を変えてみると、日々の手間は増えても、少し先の、大きな手間は減る。長い目で見たら、意外とこっちのほうがいい、ということもあるのです。だとしたら、今の暮らしが自分にとって「本当に最良の選択肢なのか」、疑って、いろいろなことを試してみる価値はありそうです。
一時期、少し洗濯物が増えることになりますが、布おむつはゴミは出ないし、
おむつが早くとれやすいという利点があります。いちばん下のお子さんはもうすぐ2歳ですが、
もうおむつがとれていて、外出などもすごく楽なのだそう
正反対の夫だったから、よかった
アズマカナコさんの著書の一部(筆者撮影)
じつは著書を拝読していると、自分なりの深い哲学を持っていて、もっともっとストイックに暮らしをつくっている印象がありました。
ですが、実際にお伺いしてみると、確かに物はとても少なく、何をするにもひと手間はかかっているのですが、なんというか「思ってたより、普通」だと感じました。
(本を読むと)すごい、なんかもう「絶対(これじゃなきゃダメ)」って感じがしますよね(笑)
まぁ実際、私ひとりで暮らしをつくったらそうなっていたかもしれないです。やっぱり、これが自分の理想の暮らしかっていったらそうではないんです。水道や電気やガスもないところで田舎暮らしとか自給自足とか、本当はやってみたいという憧れはずっと持っています。
「でも、そういう欲望ってきりがないし、もしそれを追求してしまったら、夫と暮らすことはできなくなると思う(笑)」とアズマさん。
夫は、私と違って柔軟でなんでも楽しめる人なので、この暮らしも楽しんでくれています。でも、もともと私とはタイプが全然違うので、田舎暮らしにもエコにもあまり興味はないみたいです。
でも、それが逆に良かったなって思っています。もし、夫と私がまったく同じ考えだったら、子どもたちはひとつの価値観を押し付けられて、息苦しかったんじゃないかと思う。それにタイプの違う夫だったから、こういう考えもあるんだ! って私自身も学ぶことがありました。
我が家は、何かを決めるときはお互いが妥協できるところを見つけるようにしています。地方に移住できないのなら、それを不満に思うんじゃなくて、そこでどこまでできるだろうという、今の環境でできる最適な暮らしをつくっていこうって考えるようにしているんです。
アズマさんの暮らしは、多くの人が送る暮らしから見れば珍しいことは確かです。それでも私が「思っていたより、普通」と感じたのは、アズマさんが哲学で突っ走るだけではなかったからなのかもしれません。
家族みんなの暮らしを考えることや身の丈であるということ。おそらくは暮らしの「型」よりも大切で、誰もがもつ当たり前の気持ちを、アズマさんもとても大切にしていました。
多様性を認められる社会になる
では、暮らしという観点から社会を見たときに、どうしたら、持続可能で豊かな未来が描けるのでしょうか。そう聞いたときのアズマさんの答えは、広く社会を俯瞰した、根源的なものでした。
やっぱり「多様性を認められる社会になる」ことじゃないでしょうか。新しいものもいいけれど古いものもよくて、そういう良さが認められて残っていく。それが大切なんじゃないかなと。
要は今って、なんでもかんでも新しいものがいいっていうふうに価値観が固定化されているのがよくないんじゃないかなと思っています。
古いものも新しいものも、両方あっていい。もともと環境問題への関心から暮らしをシフトしていったアズマさんがそんなふうに思っているとは意外でした。
いやいや。みんなが私みたいな考え方で、同じような暮らしをしていたらそれも問題じゃないかと思うんです。そうすると今度は違う考えを持った人が生きづらくなります。苦しくなる。
私は、我が家の真似をしてほしいとは思っていません。ひとりひとり違ってもいいということが大切だと思っています。 だから最近思い始めたんです。私の役目は「変わり者」ってことなんじゃないかなって。
今って、みんなが同じことをしなきゃいけない感じがあって、違うことをしにくいじゃないですか。でも誰かちょっと違うことをしている人がいたら、みんなとは違う考えや価値観をもった人を勇気付けられるのかなって。
左のパッチワークのひざ掛けは、じつは小学2年生の息子さんの作品。
約1ヶ月かけて、遊びがわりにこつこつ編んだものだそう。
手づくりの座布団カバーはハギレを組み合わせて。あるものは無駄なく使います
アズマさんがそう思うようになったのは、昔から「変わり者」で常に少数派の立場にいたこと、そして大学に入ったあと、多様性のある社会では自分を出せるという経験をしたからでした。
私はもともと、あまり自分の意見は言えないタイプでした。強い人が言ってることには逆らえないし、自己主張もできない。子どもの頃は昆虫などの生き物や古いものが好きなんて言えなかったし、そんなに興味がないのに、友だちに誘われてアイドルのコンサートに行ったりもしていました。
でもその後に進学をした大学には、さまざまな人が集まっていて。出身地も年齢もバラバラ、趣味なども多彩で、個性豊かな人がたくさんいました。それがすごく良かった。それから少しずつ自分はこれが好きなんだって、言えるようになりました。それで、いろいろな個性や価値観をもった人がいるほうが居心地がいいな、生きやすいなと思ったんです。
みんなが同じ考えで、同じことをする社会は「怖い」。理想を語るとき、私たちはなんとなくそこを目指しがちだけれども、いろいろな人がバランスを取り合って共存できる社会こそが本当の意味で豊かなのかもしれない、と気づかされました。
大切なのは、自分の内側から起こる動機
さらに、似たような思いや興味関心があったとしても、それに対する関わり方も、人それぞれ違うのだとアズマさん。
人が絶対にこれはいいっていうことも、自分にとってはそうでもなかったりしますよね。私は家の中のことをやるのが好きだったからこういう暮らしをしているけれど、外に出て仕事をするほうが好きだっていう人もいると思います。保存食づくりなんて興味がないっていう人だっているはずです。
エコだって、いろいろな切り口や方法があります。家族構成や住んでいる場所によってできることは違うし、人それぞれ得意なことも違います。私も大学時代、友だちと一緒に山にゴミを拾いに行ったり、環境保護の集まりに参加してみたり、自然観察会に行ってみたり、植林活動に参加したり、いろいろやりました。
でも私は、大勢の人の中で何かをやるというのがあんまり得意ではなくて。やっぱり暮らしの中でエコや環境問題を研究して自分でやるっていうのがいちばん合っていたんですね。だから、それぞれが自分に合ったことを見つけて、実践できればいいと思うんです。
そして大切なのは「動機」の部分。自分ごととして捉えることができるかどうかが重要なのだそう。
なんでもそうだと思うんですけど、周りから言われてもダメなんですよね。自分で気づかないと。私も実家にいたころは、母に「食べ物の添加物や農薬を気にしたほうがいいんじゃない?」とか「洗剤は石鹸にしたほうがいいんじゃない?」とかいろいろ言ってみたことがあったんですけど、母は全然、興味がなくて。
でも60代に差し掛かるころ、ちょっと体調を崩したり、同年代のお友だちにも体を壊して健康に気を使う人が増えてきて。そしたらある日突然、宅配サービスに加入をして、食材や洗剤などに気を使いはじめたって。私があれだけ言ってもダメだったのに、何かきっかけがあって、自分の内側から動機が起こると違うんだなと思いました。
実際、アズマさんの暮らしを知ったことがきっかけになる人もいます。なんとなく周囲に合わせてスマホにしていた人がガラケーに戻したり、じつは自分もあまり家電が好きではない、と告白されることなどもあるのだそう。だからこそ、アズマさんは「変わり者」であることに、ある種の役目を感じているのです。
私はスマホも携帯電話も持っていないのですが、今は子ども関係の集まりなどはLINEでやりとりするのが当たり前。持っていないと肩身の狭い思いをしないといけません。
でもみんな同じが当たり前になっちゃうと、違うことってどんどんしにくくなっちゃうから、人と違う選択をする人はやっぱり必要かなって思っています。もちろん、周りと良い関係を保つために努力は必要だけど、そういう意味では、私はもう変わり者って知られてるので怖いものなしですね。
アズマさんはご自身の暮らしについて、著書を通じて広く社会に発信しています。ときにはそれが、誰か別の「変わり者」の背中を押すことにつながるのかもしれません。そして、こういう暮らしもある、こういう省エネの切り口もある、というひとつの選択肢や参考資料を提示することにもなっているのでしょう。
エネルギーのこともきっと同じです。アズマさんのように、省エネ生活を実践することで自然エネルギー100%の社会に近づこうという人も、電力会社を選ぶところから始めるという人も、自家発電をするという人もいます。それぞれがそれぞれに合った方法で、楽しみながら歩みを進めていく多様性が、いっけん回り道に思えても、じつは社会を変えるための近道なのかもしれません。
環境のこと、社会のこと、家族のこと、自分自身の趣味嗜好や性格、考え方。そうしたあらゆる要素を俯瞰し、よりよい未来をつくろうと考えたとき、あなたならどんな暮らしがしたいと思うでしょうか。自分の内側から沸き起こってくる動機はどんなものでしょうか。
もし何か思い浮かんだとしたら、それが、豊かな未来の始まりです。みんな違うのは当たり前で、きっと、すべてが正解なのです。
(写真: 袴田和彦)
【取材こぼれ話】アズマカナコさんの取材にあたり、個人的にひとつだけどうしても聞きたいことがありました。それは「洋服を手洗いするのはいいんだけど、そのあとの脱水はどうすればいいの?」ということ。ここ数年、自然素材のものや一生使えそうな質のいい洋服を買おうと心がけるようになったところ、ほとんどの洋服は手洗い表示に。でも、数が多いと絞るのもひと苦労。洗濯機の脱水をかけたら結局生地が痛むし、実際どうされているのか伺いたかったのです。アズマさんの答えは「軽く絞って、ポタポタたれても気にせずに干す」。これはアズマさん流ということではなく、ご近所のおばあちゃんから昔の暮らしをヒアリングした際に教えてもらったことなのだそう。「おうちによっては、生地が痛むからいっさい絞るなと教えられたお嫁さんもいたみたいですよ」とアズマさん。取材には、やはり物を持たない暮らしを実践されているエディターの増村江利子さんも同行していたのですが、3人で「えーそうなんだ! 知らなかった!」「それでいいんだー!」「脱水がそれでOKなら手洗いのハードルが下がるね」と大盛り上がり。なんてマニアックな女子3人(笑) お話もとてもすばらしく、とても、楽しい取材でした。