C.W.ニコルさんの人生に学ぶ 自然への敬意と不屈の精神、そして自ら行動することの大切さ

森には不思議な力が宿っています。
深い懐であまたの動植物の命を育み、その営みが豊かな恵みをもたらす。
人の心を癒し、解放する。

私財を投じ半生をかけて日本の森を豊かに蘇らせた人がいます。

その名は、C.W.ニコル。

「日本の森に救われたから、恩返しをするために、日本の森を救う」 *1:p.1。
そう語った彼の活動とはどのようなものだったのでしょうか。

そして、2020年4月3日に亡くなった彼が遺したメッセージとは?

 

足跡

まず、彼の足跡をたどってみましょう。

 

~誕生から青年期まで:自然にまつわる原体験と海外での活動~

C.W.ニコルさん(「以下、「ニコルさん」)は1940年7月17日に英国ウェールズに生まれました *2-1。彼と自然との深い関わりをあらわす幼年期のエピソードがあります *1:p.1。

小さい頃、体が弱かったニコルさんは、時折いじめられて落ち込んでいました。
そんな彼を見て、おばあさんがこう言いました。
「あそこの丘に大きな木があるから、嫌なことがあったら話をしておいで」
そこで、ニコルさんはその丘に登り、実際に木の根元に話しかけてみました。
すると、フラストレーションが消え、みるみる活力が蘇ってきます・・・。

「小さな頃に自然に救われたという体験は今でも忘れられません」と、彼は話しています。
自然への敬意は、こうした原体験から生まれたのかもしれません。

成長するにつれ次第に丈夫になったニコルさんは、12歳の頃には探検家をめざすようになりました。
柔道やレスリングで体を鍛え、狩猟やカヤックに熱中した少年時代 *3 を経て、17歳のときに故郷を後にし、カナダに向かいます。
目的は、海洋哺乳類の調査研究に携わることでした *2-2、*4。

海外での仕事には、この他に、エチオピアにおける野生動物保護活動、カナダにおける環境保護活動などがありますが、詳しくは後ほどお話しします。

 

~日本との関わり:定住と帰化、そして森林再生活動~

ここからは日本との関わりをみていきましょう。

彼が初めて日本に来たのは、1962年、空手修行のためでした。
その後、1969年に再来日し、1975年には沖縄海洋博のカナダ館副館長を務めました。
1978年には、捕鯨基地だった和歌山県太地町にも滞在しています。

1980年、彼は日本での定住を決め、長野県の黒姫山麓に拠点を移しました。
世界を股にかけて活躍していたニコルさんが日本を定住の地に選んだのはなぜでしょうか。
それは、日本の多様で豊かな自然と武士道をはじめとする日本文化に魅了されていたためです *3、*5。

日本の森での特別な体験を彼はこう語っています *6-1。

この日本でブナの森を歩いていたとき、私はその荘厳な雰囲気に圧倒され、得も言われぬ感動に包まれました。その場に立ち尽くしたまま、気がつけば溢れ出る涙が頬をつたっていたのです。これは「エデンの園」だろうか、遠い、遠い昔、イギリス諸島のケルト人もこの感動を味わったのだろうか、と。
彼の故郷であるイギリス諸国では、ブナの原生林は既に消失していました *7:「日本人は本当に恵まれている」。

彼が森林の再生に取り組むのは、定住の数年後のことです。
その前に、まず始めたのは、執筆活動。
著作物には、小説やエッセイなど、100編以上の作品があります *2-3。

1986年、ニコルさんはついに森林の再生活動に取り組み始めます。
私財を投じて手に入れた里山を「アファンの森」と名付け、それ以降、精力的な活動を続けていきます。

2002年、アファンの森での活動や調査などを生かし、公益的な活動を全国展開するために、「一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」(以下、「アファンの森財団」)を設立し、理事長に就任しました *2-2、*6-2。

図1 アファンの森に佇むニコルさん
出典(図1-図3・図5):*6-1 「C.W.ニコルの想い 日本人としてすべきこと」
「C.W.ニコルの想い 日本人としてすべきこと」(2019/07/22)
https://afan.or.jp/about-afan/2940/

 

アファンの森には、天皇皇后陛下やチャールズ皇太子など、国内外の要人が視察に訪れました *6-3、*6-4。
2005年には英国のエリザベス女王から名誉大英勲章を受けています *2-2。

1995年、彼は日本国籍を取得し、それ以降、「ケルト系日本人」を自称しました *7:「日本の里山、そして子どもたちとの出会い」。

私は95年に帰化した日本人です。私と家族を守って、生活を与えてくれているのは日本。(中略)一つの国にこんな豊かな自然がある所はないですし、日本で生まれた伝統文化も素晴らしい。僕は日本を尊敬しています *3。

在りし日の彼の言葉です。

彼が不屈の精神を貫いた生涯を閉じたのは、2020年4月3日、よく晴れた日のことでした *2-1。

 

 海外における活動と森林再生活動への影響

若い頃のニコルさんはどのような生活を送っていたのでしょうか。
彼は、海外でも生物多様性と環境保護に関する活動に携わっていました *2-2。

17歳でカナダに渡った彼は、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たりました。
その以降、北極への調査探検は12回を数えます。探検家になるという少年時代の夢はこのような形で結実しました。

カナダでは次にお話しするエチオピアでの滞在をはさんで、1972年に仕事を再開しました。
カナダ水産調査局淡水研究所の主任技官です。そのかたわら、環境保護局の環境問題緊急対策官として、石油、化学薬品の流出事故などの処理にも当たりました。

エチオピアでの仕事は、野生動物の保護でした。
1967年にエチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任し、その後、2年間にわたってエチオピアに滞在。その間、シミエン山岳国立公園を創設し、公園長を務めます。
密猟者と死闘を繰り広げたこともありました *3。

ニコルさんは、エチオピア滞在中に、森にまつわる貴重な経験をしました *1:p.1。
山賊のために荒れていた森を整備したところ、水源が蘇り、麓の住民にとって大切な森が復活したのです。
ところが、国の情勢が悪化して再び山賊が横行するようになると、森は再び荒れ、それとともに麓の人々の暮らしも困難になりました。

それは強烈な経験でした。
後に日本の天然林が伐採され、森が荒れていくさまを目のあたりにしたとき、彼はエチオピアでの経験をそれに重ね合わせ、森林破壊への警鐘を鳴らし続けました。

このように、若い頃から地球環境や生物多様性に目を向け、本格的な活動に取り組んでいたことと来日後の森林再生活動とは深い関係があります。
自然や生物多様性に対する一貫した姿勢と、さまざまな経験、活動で培われた専門性や観点は、その後の森林再生活動に生かされていきました。

 

日本における活動とその影響
~活動の背景:日本の森林破壊とウェールズの森林再生~

彼が森林の再生活動に取り組むことになった背景には、日本の自然に対する深い尊敬の念と愛情があります。

彼はイギリスと日本の里山とを比較し、以下のように述べています *1:p.1。

英国では主に上流階級の貴族がハンティング・フィールドとして利用していました。日本では庶民が山菜を採ったり、ハンティングをしたり、人と自然がかなり融合していて、大型哺乳類のクマやイノシシなどが闊歩している森が広がっているというところに凄く驚きました。また、ひとつの国土に北には流氷、南にはサンゴ礁が見られ、2種類のクマが棲息している、世にも稀に見る自然が多様な国だと感動しました。

ところが、ニコルさんが1980年に長野県の黒姫山麓に定住し始めたとき、付近の森林は深刻な事態に直面していました *6-1。
樹齢400年以上のナラ、ブナ、トチなどの大木が一瞬にして次々に切り倒され、川はコンクリートで固められ、湿地はゴミで埋め立てられていきました。すべては経済活動のためです。
ニコルさんはそうした自然破壊に警鐘を鳴らし、抗議しましたが、それが受け入れられることはありませんでした。

絶望しかけた彼を救ったのは、故郷のウェールズで森を再生させたというニュースでした *1:pp.1-2。
その森林再生の発端は、かつて石炭を採掘していたボタ山で発生した痛ましい事故でした。
ボタ山が崩れて、小学校を丸ごと1校、呑み込んだのです。

その事故を契機に、学校の教師3人が10haの土地を借りて、バケツで土を運び、植栽を始めました。
その運動が広がって、現在では3万ha(東京ドーム約6,400個分)を越える森林になり、ウェールズの国立公園になっています。
それが「アファン・アルゴード森林公園」です。
アファンとはケルト語で「野いちごがなる場所」、「風の吹きぬける場所」という意味です。

 

図2 廃坑当時(左図)と現在(右図)の英国ウェールズ アファン森林公園

 

久しぶりに生まれ故郷の英国ウェールズを訪ねたニコルさんは、森の再生にかける人々の努力と情熱を目の当たりにしました。
彼らの取り組みに感銘を受けた彼は、「もう文句ばかり言うのはやめよう、私も彼らにならって心から愛する日本のために力を尽くそう」と決意しました *6-1。

 

~活動開始:「アファンの森」での取り組み~

1986年、ニコルさんはいよいよ行動に移ります *1:p.2、*6-1。

彼が真っ先にしたのは、マイホーム資金をすべて投じて黒姫山麓に土地を買うことでした。
その後も、彼は少しずつ隣接する土地を買い足していきました。
その森の名前は「アファンの森」―かつて絶望の淵にあった彼を励まし奮い立たせたウェ―ルズの森林公園にちなんだ命名でした。

現在、「アファンの森」と「アファン・アルゴード森林公園」は、共に手を携えて健康な森を育むため、世界初の「姉妹森」になっています。
そこには、日本だけでなく、世界中の荒れた森を再生したいという思いがこめられています。

森の再生には、長い時間と多くの手間暇がかかります。
彼は仲間たちと一緒に、体を動かし、森に手をかけ、少しずつ蘇らせていきました。

図3  荒れていた森(左)と再生のための作業(右)

 

まず、取りかかったのは、間伐でした。
森の木の1本1本に養分が行き渡り、充分な陽の光が当たるようにするためです。
そうすれば、まっすぐで丈夫な木が育ちます。

小鳥たちが巣を作る茂みだけを残して、地面を覆う下草も払いました。
風通がよくなり、地面まで日光が届くようにすれば、そこにはさまざまな花や若木が育ちます。
木々を枯らしてしまうツル植物も丹念に切り払いました。

森の再生には、そうした手間暇がかかる作業が不可欠です(以下の図4)。

図4 森林の手入れ方法
出典:*8 農林水産省林野庁(2020)「森林・林業・木材産業の現状と課題:1 森林の現状と課題;森林整備の意義」 p.4
https://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/genjo_kadai/attach/pdf/index-136.pdf

 

そうした作業をするにあたって、ニコルさんは森に暮らす生き物たちに常に心を寄せていました。
例えば、クマや鳥たちのために、好物のヤマブドウやアケビ、サルナシなどは残しました。
また、カエルやイモリ、水生昆虫、それにサギやカモたちのために、池を掘り、水路をきれいに整えました(以下の図5)。

こうしたアプローチが生物多様性の再生につながりました。

図5 生物たちのために整えた水環境

 

間伐で選択伐採した木は、高級家具の材料として生かしたり、薪や木炭として利用します。
間伐材に菌を植えつけ、キノコも育てています。
こうして利用した木は、最後には分解されて腐植土となります。

このように、豊かな森として蘇ったアファンの森は、森林の生態系を取り戻し、持続可能な恵みをもたらしています。

 

~「アファンの森財団」の多彩な活動~

ニコルさんには森林の再生活動で大切にしている観点が3つありました。
ダイバーシティー(生物の多様性)、プロダクティビティー (生産性)、バランス(均衡感覚)です *1:p.2。

そのような観点は、彼が設立したアファンの森財団の活動にどのように生かされているのでしょうか。財団の取り組みを概観してみましょう *6-1、*6-5。

 

  • 森林整備

これは、活動の原点です。100年後の森のために、放置され荒廃した森を再生させる取り組みを続けています。

 

  • 人工国有林再生の試み

2012年に中部森林管理局北信森林管理署と協定を結び、隣接する国有林約27haを「森林・林業再生モデル林」として借り受けました。
経済林としての生産性と森林の生態系回復を両立させるための試みです。


図6 活動イメージ①:森林整備(左)・人口国有林再生(中)・トラスト活動(右)
出典(図6-図9):*6-5 一般財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団「活動内容」
https://afan.or.jp/projects/

 

  • トラスト活動

アファンの森周辺の放置された山林を買い取り、より大きな森の生態系の再生を目指す活動です。

森を大きくすることは、より大きな生態系を再生することにつながります。トラスト募金によって少しずつ森を広げ、フクロウが無理なく繁殖できる50haを当面の目標としています。

どのような動植物が森に暮らしているか継続的に調べ、森林再生活動の効果を検証しています。

 

  • 調査研究

クマやヤマネ、鳥、植物、昆虫など生物学のフィールドワークや水質・地質の調査を奨励、支援しています。

 

  • 5センスプロジェクト

心に傷を負った子どもたちや障がいをもつ子どもたちを招待し、心を解放し癒すためのサポートをしています。人の五感に働きかけ、本来の自分を取り戻させる森の力の活用です。

この活動では、まで2,000人以上の子どもたちを招待してきました。

図7 活動イメージ②:調査研究(左)・5センスプロジェクト(中)・福島キッズ森もりプロジェクト(右)

 

  • 福島キッズ森もりプロジェクト

東日本大震災後の原発事故による影響で、外遊びを制限されたり、不安やストレスを抱える子どもたちを招待し、大自然の中で心身を解放するための活動です。

 

  • 震災復興プロジェクト

東日本大震災の津波で甚大な被害にあった東松島市と協定を結び、公立小学校を「森の学校」にする活動です。被災地の自然を再生することで地域の活性化、持続可能な復興を図っています。

 

  • ホースプロジェクト

豊かな森を甦らせるパートナーとして馬を活用する試みです。

森を傷つけないように馬を使う手入れの方法として間伐した木を馬が運ぶ伝統的な運搬技術である「馬搬」や畑を耕す「馬耕」を活用して、日本の地形にあった林業や農業などを目指します。

また、馬と共に森で過ごす体験プログラムも展開しています。


図8 活動イメージ③:震災復興プロジェクト(左)・ホースプロジェクト(中)・見学会・視察(右)

 

  • 見学会・視察・環境関連のイベント出展

森の可能性や存在意義について多くの人々に伝える活動です。
欧米からの見学者も数多く迎えてきました。

 

  • 人材育成

森林生態系や生物多様性の重要性を伝える体験プログラムによって、日本中の森を人の手で蘇らせるための人材を育成する活動です。

「エコツーリズム」を学ぶ学生のための訓練場としても機能しています。

図9 活動イメージ④:人材育成

 

アファンの森財団は、この他に、イギリス発祥の多国籍企業と提携してプログラムの開発もしています *9。
それは、アファンの森財団が森林再生や生物多様性保全などの分野で培ってきた高度な知見を、日本各地や世界に向けて発信し、地域再生や活性化などに多面的に活用してもらうためです。

こうして活動を概観すると、森のもつ力や可能性が鮮やかに見えてきます。
また、多彩な活動を総合的にみると、先にみた彼の3つの観点、ダイバーシティー(生物の多様性)、プロダクティビティー (生産性)、バランス(均衡感覚)が確実に生かされていることもわかります。

財団の事務局長は「ニコル氏の遺志を受け継ぎ、日本の豊かな自然をもう一度よみがえらせる活動を続けていきたい」と述べています *5。

 

ニコルさんの活動が残したものと未来へのメッセージ

最後に、ニコルさんが半生をかけて取り組んだ森の再生活動が残したものと未来へのメッセージについてみていきましょう。

 

~そして、森が残った~

蘇ったアファンの森は、森のもつ本来の力を存分に発揮しています *6-1、*6-6。

森林の生態系が回復し、全ての生き物がバランスを保ちつつ共存しています。
さまざまな植物、菌類、そして昆虫や両生類たち・・・。
アファンの森では、ニホンカモシカと猿以外の長野県にいる47種の哺乳動物が生息しています。

長野県で絶滅の恐れのある種、59種も確認されています。
昆虫は1,000種類以上、鳥は93種、木は156種。
ツキノワグマの親子が木登りの練習に来たり、大好物のハチミツを食べに来たりしています。

図10  アファンの森の動植物
出典:*6-6 「アファンの森とは」
https://afan.or.jp/our-story/

 

森は還り、残り、その力を存分に発揮して、本来の生態系のもと、動植物の命を育み、その営みが豊穣な自然のめぐみをもたらしています。

 

~未来へのメッセージ~

森は人間の手によって蘇らせることができる―そのことをニコルさんは証明してみせました。
その行動には、彼が人生を通して貫いた信念があります。
それは、自然への敬意と自ら行動する大切さです。

日本の森に対する敬意が彼の活動の原動力になりました。
ブナの原生林に入ったときの感動については先ほどお話ししましたが、その経験は日本の森に関する彼の原体験となっています *7。

涼しくて、空気もおいしく、ブナの幹が真っ直ぐで美しかった。強い太陽の陽射しが、木漏れ日になっていました。周りには花が咲いていて、笑っているような水の音が聞こえました。水筒に水をいっぱいくんで飲み、「こんなにおいしい水はない」と思いました。そして、しばらく歩いたら鳥肌が立って、思わず涙が出ました。(中略)
なぜ日本はこの美しい森を残せたのか。(中略)
この美しい森を残してくれた日本に感謝。

「本来、人もまた自然の一部。畏敬の念をもって自然に接し、その恵みに感謝する、それが原点です」と、ニコルさんはかつて語っています *6-1。

彼のもうひとつの信念は自ら行動することです。
「森が荒れたのは誰が悪いだとか言うだけでなく、私がかつて森の再生をしたように、我々は自ら行動をしなければならないと思うのです」と彼は述べています *3。

最後に、アファンの森財団創立時の彼のメッセージをご紹介します *6-1。

何より、アファンの森は、この私に「一体感」を与えてくれました。私が世を去った後もこの森は永く生きつづける、そう思うことで心がどれほど穏やかになることか。外国人であった私は、ようやく名実ともにこの国の一員となれたと感じています。

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参照・引用を見る

*1
環境省中部地方環境事務所(2010)「生物多様性インタビュー⑧ C.W.ニコル さん 財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団理事長 作家、環境保護活動家、探検家」http://chubu.env.go.jp/pre_2010/data/0201a_1.pdf

*2
C.W.NICOL Official Web Site CWニコル公式ホームページ
*2-1:“top”
http://www.cwnicol.com/

*2-2:“profile”
http://www.cwnicol.com/profile/

*2-3:“books”
http://www.cwnicol.com/books/

*3
INTHELIFE(2018)C.W.ニコルさん#1『荒れた日本の森を救う、「アファンの森」の再生事業』https://inthelife.club/a15342/

*4
読売新聞オンライン(2020)「作家で環境保護活動家のC・W・ニコルさん死去…79歳」(2020/04/04 19:08)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200404-OYT1T50159/

*5

読売オンライン(2020)「黒姫の里山、生態系復活に取り組む…死去のC・W・ニコルさん」2020/04/05 07:21)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200404-OYT1T50201/

*6
一般財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団
https://afan.or.jp/

 *6-1
「C.W.ニコルの想い 日本人としてすべきこと」(2019/07/22)
https://afan.or.jp/about-afan/2940/

  *6-2
「私たちについて;財団について」
https://afan.or.jp/about/

*6-3
「天皇皇后両陛下のご来訪」(2019/07/22)
https://afan.or.jp/about-afan/2982/

  *6-4
「チャールズ英皇太子・高円宮妃久子さま アファンの森ご来訪(写真追加)」(2008/11/14)https://afan.or.jp/international-exchange/1140/

*6-5
活動内容
https://afan.or.jp/projects/

*6-6
アファンの森とは
https://afan.or.jp/our-story/

*7
公益社団法人 日本シェアリングネイチャー協会「ネイチャーゲームニュースレター:C.W.ニコル氏からのメッセ―ジ」日本の里山、そして子どもたちとの出会い」(みちのくフォーラムより)https://www.naturegame.or.jp/for_member/column/column-sharing/000606.html

*8
農林水産省林野庁(2020)「森林・林業・木材産業の現状と課題:1 森林の現状と課題;森林整備の意義」p.4
https://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/genjo_kadai/attach/pdf/index-136.pdf

*9
Deloitte デロイト トーマツ(2017)「ニュースリリース デロイト トーマツ、C.W.ニコル・アファンの森財団と協力関係強化 アファンの森財団の有する知見を地域再生・活性化などに活用するプログラム開発を支援」
https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/about-deloitte/articles/news-releases/nr20170725.html

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