最近、日本でもジビエという言葉を耳にするようになってきました。ジビエを提供する店でシカやイノシシなどの料理を口にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ジビエはヨーロッパでは貴族の伝統料理として発展してきた食文化ですが、現在日本で推進されつつあるジビエ利用には、それとは異なる背景があります。
実は、そこには、地球温暖化や人間活動に起因する問題、人間と野生動物との共生という課題が潜んでいるのです。
本稿では、ジビエ利用の背景と状況を明らかにし、先進的な取り組みをご紹介します。そして、それをふまえて人間と野生動物の共生について考えてみたいと思います。
ジビエとは
ジビエの定義と利用推進の背景
ジビエ(Gibier)とは、食材として捕獲された天然の野生鳥獣を意味するフランス語です。ヨーロッパでは貴族の伝統的な料理文化として、古くから発展してきました[*1]。
日本で推進されつつあるジビエの利用はヨーロッパのそれとは異なる背景があり、主に害獣による農作物被害の防止と捕獲した害獣利用が目的です。たとえば日本での野生鳥獣による農作物被害額は2019年(令和元年)では158億円におよびます。その全体の約7割がシカ、イノシシ、サルによるものです[*2],(図1)。森林被害額は、2019年(令和元年)では1億4千万円におよびます。
図1: 害獣による農作物被害額の推移
出典: 農林水産省「鳥獣被害の現状と対策」
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.2
図1から、被害額は年々減っているように見えますが、これには営農意欲の減退、耕作の放棄・離農の増加など、農業そのものを放棄した影響も含まれています[*2]。
図2は、ニホンジカとイノシシの分布域の変化を表しています。
図2: ニホンジカとイノシシの分布の拡大
出典: 環境省「鳥獣保護管理の現状と課題」
https://www.env.go.jp/council/12nature/y124-01/mat03.pdf, p.7
この25年間で、ニホンジカで約1.7倍、イノシシで約1.3倍ほど分布域は拡大しました。
そのため近年では、被害防止を目的とした捕獲が行われており、イノシシおよびシカの捕獲頭数は大幅に増加しています(図3)。
図3: イノシシとシカの捕獲頭数の増加
出典: 農林水産省「鳥獣被害の現状と対策」
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.8
害獣が増えた要因と影響
害獣が増えた要因として、以下のように様々なものが挙げられます[*3]。
- 古くは生態系の頂点に位置したオオカミが絶滅したこと
- 人間が、害獣を肉や毛皮として利用する機会が減ったこと
- ハンターの高齢化・減少により捕獲数が減ったこと
- 放棄された農地が増え、温暖化の影響もあって餌資源が増えたこと
図4は、年齢別の狩猟免許交付状況です。狩猟者の数は1975年(昭和50年)から2019年(平成25年)までの44年間で6 割以上減少しました。また狩猟者の高齢化も進み、60歳以上の方が6割を超えています。
これらは互いに関連して、結果的に農村の構造変化を招いています[*4],(図5)。
図4: ハンターの減少と高齢化
出典: 環境省「鳥獣保護管理の現状と課題」
https://www.env.go.jp/nature/choju/capture/taisaku.html
図5: イノシシ被害による集落の崩壊
出典: 熊本県農村ハンター「県域の若手農家ネットワークを活かした鳥獣被害対策」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/tyozyu/higai/hyousyou_zirei/attach/pdf/r1_newjirei-19.pdf, p.2
ジビエ利用の目的・効果
日本における食肉の課題として、その自給率の低さがあげられます。牛や豚などについてはそもそも輸入が多いのですが、たとえ国産であっても飼料のほとんどが輸入であるため、正味の自給率はとても低くなります。これに対してジビエは、国内の山林にあるものを餌としており自給率100%です。
また、野生鳥獣は農山村に偏在しているため、これを活かしジビエとしてうまく市場化できれば、農業被害を減らすと同時に、地方の雇用や経済の活性化にも貢献できる可能性があります。
そのため害獣をジビエとして上手に利用することが求められます。
ジビエの現況
ジビエ利用の実績
ジビエを食肉として利用するためには、実は様々な問題があります。
現状では、捕獲されたシカの90%以上、イノシシの95%が利用されることなく、埋設・遺棄されており、生命倫理の観点からも問題があります[*5],(図6)。
図6: シカおよびイノシシのジビエ利用率と廃棄量の関係
出典: 早稲田大学「有害鳥獣のジビエへの活用とその可能性」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=46343&file_id=162&file_no=1, p.252
積極的な利用が求められますが、食品衛生法により、野生鳥獣の処理を行うには都道府県知事等から許可を受ける必要があります。
このような基準を満たした、野生鳥獣の食肉処理加工施設は、図7に示すように全国で667施設あります[*2]。
図7: 食肉処理加工施設の分布
出典: 農林水産省「鳥獣被害の現状と対策」
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.36
ジビエは衛生管理上の理由から、捕獲から加工までを短時間で行う必要がありますが、とくに東北地方で少なく、施設がない県すらあり現状の施設数では不十分です。
図8 ジビエの利用量と利用頭数の推移
出典: 農林水産省「捕獲鳥獣のジビエ利用を巡る最近の状況」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/gibier/attach/pdf/suishin-258.pdf, p.7
図8は、ジビエの利用量と利用頭数の推移を表しています。2016年(平成28年)に利用されたジビエが1,283トンであったのに対して、2019年(令和元年)には2,008トンと1.6倍に増加しました。
このようにジビエの利用は徐々に拡大していますが、未だに捕獲頭数の5〜10%しか利用されておらず[*5]、大きな可能性があります。
捕獲から消費までの流れ
捕獲から販売までの工程は複雑です。捕獲者はまず血抜きなどを行い運搬します。処理施設では、利用目的にあわせて解体や熟成、精肉や包装などを行い、流通ルートに乗せます[*6],(図9)。
図9: 捕獲から流通までの手法と流れ
出典: 農林水産省「野生鳥獣被害防止マニュアル」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/gibier/attach/pdf/manual-34.pdf, p.4
ジビエ利用拡大のための6つの取り組み
ジビエの利用を拡大するために、様々な取り組みが行われています。
一つ目は、ジビエ利用拡大のためのコンソーシアムの構築です。これにより資金援助をはじめ様々な取り組みを包括的に検討します[*7]。
二つ目は、「ジビエ認証制度・認定証」[*2]です。
安全基準を満たしたジビエ処理加工施設に対して、衛生面でのお墨付きを与えます。
同時に、認証を受けた加工施設のジビエ製品等に認証マークを表示し(図10)、消費者の安心安全とジビエのトレーサビリティを確保します(図11)。
図10: ジビエ認証マーク
出典: 農林水産省「鳥獣被害の現状と対策」
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.15
図11: ジビエ認証商品のラベル
出典: 農林水産省「鳥獣被害の現状と対策」
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.14
三つ目は、ジビエ利用モデル地区の制定・整備です(図12)。まずは限られたエリアで知見を蓄積し、それを全国に波及させます。
図12: ジビエ利用モデル地区の設置状況
出典: 農林水産省「ジビエ利用モデル地区」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/gibier/attach/pdf/model-2.pdf, p.1
四つ目は、捕獲者や処理加工施設の人材育成や、ジビエプロモーション事業です。
都会に生活する人々にイベントを行い、ジビエを食べる機会を創出したり、調理師に向けた料理セミナーを行い、ジビエ取扱店舗の増加と、利用者の増加を推進します。
五つ目は、技術開発です。移動式解体処理車等の開発や情報通信技術を利用したワナの開発、ドローンの効果的な活用に向けた研究が進められています。
最後に、六つ目は、相談窓口の設置です。農水省ワンストップ相談窓口では、様々な問い合わせや質問に対して官民連携してサポートします。
取り組み事例
先進的な取り組み
ジビエの利用を拡大するために、ICT(通信によるコミュニケーション技術)を活用した自動監視や遠隔操作による捕獲技術の改善に取り組んでいます。
たとえば、鳥獣を捕まえるためのワナは、従来は捕獲者が定期的に見回り獲物を確認していました。労力が大きい割に空振りだったり、せっかく鳥獣を捕らえても、すでに日数が経ち、利用できない場合がありました。
また、箱ワナでは、餌だけ取られたり、目的外の動物がかかることも多く、これらをICT化してネットに接続することで、適切にワナを閉じ、目的の動物だけを捕獲できるようになります。
図13: ICT箱ワナ
出典: (株)アイエスイーホームページ「アイエスイーが三重県等と共同開発したICT箱ワナ」
https://www.ise-hp.com/products/cloudmarumiehokakun/
さらにドローンを用いて、野生鳥獣の生態や行動を収集、可視化したり、害獣を追い払う技術の開発が行われています[*8]。
野生動物との共生
日本の生物多様性
日本は南北に長く、中央に急峻な山地があり、豊富な降水量と四季の変化も大きいことから、生物多様性が維持され、日本固有の生物が多く生息しています。このため日本は、生物多様性の保全上極めて重要な地域にあたります[*9]。
野生生物は、それぞれの地域で一般に見られるような種から希少種まで、生態系の重要な構成要素です。生物多様性が将来的にも維持されるよう、人と野生生物の良好な関係を築いていくことは大変重要です[*9]。
このように、野生生物の保護は極めて重要であることに疑いはないのですが、実際に野生生物の適正な保護と管理を実現するのは難しく、法律を改正する必要が出てきました。
鳥獣保護法の重要性と課題:乱獲防止・共生に向けて
害獣による深刻な被害を防ぐため、平成26年に鳥獣保護法が大きく改正され、一部の鳥獣について積極的な管理を行う「鳥獣保護管理法」となりました[*10],(図14)。
図14: 鳥獣保護管理法の目的
出典: 環境省「鳥獣保護管理法」
https://www.env.go.jp/nature/choju/law/law1-1.html
また、都道府県知事が作成していた、鳥獣全般を対象とする計画を「鳥獣保護管理事業計画」に改めました。
計画は、「保護すべき鳥獣のための計画」と、「管理すべき鳥獣のための計画」の2つに明確に区分されます。
このような状況について、日本野鳥の会は、本来、個体群の「保護」と「管理」は一体であるべきで、モニタリングに基づき計画的な個体数調整や生息地管理、被害防除を組み合わせることが重要と指摘しています[*11]。
害獣駆除に関する計画は、すでに自治体で制定されていますが、希少種を保護するための計画は、制定すらされていない自治体が多いのが現状です。
原因には、各自治体で予算が不足していることや、鳥獣の保護管理に精通したスタッフが十分にいないことが挙げられます。
また、計画の立案は任意であるため、法律が形骸化してその運用が阻まれています[*12]。
問題の捉え方
このように、鳥獣の保護および管理によって、生物の多様性を確保することは大変重要ですが、その実現段階では、各人の意見の違いが大きいのが実情です。
一般に多くの人が、子ども時代に周囲にあった自然環境を「自然のあるべき姿」と認識し、それをゴールとして設定します。
たとえば子どもの頃にホタルが輝いていた光景を知る人にとっては、それを取り戻すことは大変重要です。しかし、その経験がない人にとってそれを取り戻すことに大きな労力を割く意味がみいだせないのです。
人と野生生物の共生と利用を考えるとき、二項対立的になることが多く、同様に生態系の保全についても「いつの時点の自然環境をめざすか」というそもそものゴールが人によって異なることが少なくありません。
今後の展望
自然愛護の視点でいえば、人と鳥獣は共存すべきと考えるのが通常でしょう。しかし身近に鳥獣と接している人からすれば、鳥獣が厄介な害獣でしかない場合もあります。。
「害獣を駆除して欲しい人」と「駆除する人」、「ジビエとして利用したい人」とが一致せず、それぞれの情報も十分に共有されていません[*13]。
鳥獣に関連した環境保護と利用のバランスを確立するうえでは、立場の違いを越えての情報共有が不可欠です。
また、少し先の話になるかもしれませんが、この先、害獣が減ったらどうなるかという問題もあります。農作物の被害の観点から見れば、害獣が減るのは望ましいことです。
しかし害獣が減った場合には、今よりも著しく捕獲が困難になりますし、害獣の処理や運搬方法が確立されないままであれば運送コストも高くなると予想されます。
それによりジビエの価格が高騰し、供給も不安定になれば、せっかくプロモーション活動によって認知や需要が増えてきていたとしても、ビジネスとしてより難しくなるでしょう。
害獣の発見や処理、運搬の難しさを補うためのIoTやジビエカー等の技術開発は大事ですが、同時に新しく開発した技術の利用者となる若手人材の確保も必要です。
この30年間で、日本人と野生動物の共存に関わる価値観や倫理観は急激に変化してきました。ジビエを取り巻く状況はそうした問題を含んでいます。こうした状況を改善し、野生生物とのよりよい共生を実現するためには、環境倫理学の発展や関係者の建設的な意見交換・情報共有が求められます。
参照・引用を見る
*1
農林水産省「ジビエとは」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/gibier/
*2
農林水産省「捕獲鳥獣のジビエ利用を巡る最近の状況https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/shigen/chojyu/attach/pdf/index-12.pdf, p.2, p.4, p.6, p.7, p.20, p.26, p.28, p.32, p.39
*3
環境省「シカによる被害の現状と狩猟の役割」
https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort8/about/pdf/meaning02.pdf, p.1
*4
熊本県 くまもと☆農家ハンター「県域の若手農家ネットワークを活かした鳥獣被害対策」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/tyozyu/higai/hyousyou_zirei/attach/pdf/r1_newjirei-19.pdf, p.2
*5
早稲田社会科学総合研究. 別冊, 2018年度学生論文集「有害鳥獣のジビエへの活用とその可能性」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=46343&file_id=162&file_no=1, p.252
*6
農林水産省「野生鳥獣被害防止マニュアル」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/gibier/attach/pdf/suishin-258.pdf, p.2
*7
農林水産省「鳥獣被害防止総合対策交付金鳥獣被害防止対策促進支援事業」
https://www.maff.go.jp/j/supply/hozyo/nousin/attach/pdf/210209_501-1-1.pdf, p.1
*8
九州農政局「ICTを活用した鳥獣被害対策」
https://www.maff.go.jp/kyusyu/seisan/gizyutu/attach/pdf/R2dai1kaisumartkaigi-5.pdf, p.25
*9
環境省「生物多様性国家戦略2010-2020」 https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/files/2012-2020/01_honbun.pdf, p.24, p.193
*10
環境省「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護管理法)」
https://www.env.go.jp/nature/choju/law/pdf/H26_hogohou.pdf, p.1
*11
日本野鳥の会「いま問われる、野生動物と人間の共生」
https://www.wbsj.org/activity/spread-and-education/toriino/toriino-kyozon/symbiotic-relationship/
*12
WWF「「鳥獣保護管理法」とは?成立の経緯とその課題について」
https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/1452.html
*13
青木 淳「害獣被害の拡大をジビエで救うことはできるだろうか?」発行元:鯉淵学園教育研究報告, Vol.31, 2021
http://www.koibuchi.ac.jp/assets/images/page/report/report31.pdf