コンピューター上で自社製品やその使用環境を再現するシミュレーションは、設備稼働後のトラブルを避けるため、製造業では広く利用されてきました。
しかし、シミュレーションで予測できる範囲には限界があり、また全てのパターンを網羅することはコスト面でも困難であることが通常です。
一方、近年では、現実世界を仮想空間に忠実に再現し、あらゆる状況をシミュレートする「デジタルツイン」技術が台頭し、注目を集めています。「デジタルツイン」を活用すれば、現実世界での実証実験が不要になるため、時間や労力などのコストを抑えられるとともに、仮想空間上で問題が発生しても現実世界に影響を与えることもありません。
デジタルツインは、現在すでに製造業を中心に幅広い分野で活用されつつあります。本記事では、デジタルツインの意義を確認するとともに、電力分野での活用事例をご紹介します。
デジタルツインとは
デジタルツイン(DigitalTwin)とは、現実の世界から収集した様々なデータを、あたかも双子のようにコンピュータ上で再現する技術のことです[*1]。
これは2002年に提唱された概念であり、フィジカル空間(現実空間)と対となる環境をサイバー空間(仮想空間)にコピーすることで、仮想空間上でのモニタリングやシミュレーションを可能にしています。また、これまでのシミュレーションとは異なり、現実世界の情報をリアルタイムで仮想空間に反映することで、現実世界により近い環境での予測が可能となっています[*2], (図1)。
図1: デジタルツインのイメージ
出典: 総務省「デジタルツインって何?」
https://www.soumu.go.jp/hakusho-kids/use/economy/economy_11.html
デジタルツインを取り巻く背景
デジタルツインと同じ発想での国家的プロジェクトが海外ではスタートしています[*3]。
例えば、ドイツで実施されている官民連携プロジェクト「インダストリー4.0」は、機械・設備・流通網など実世界から収集した情報をコンピューターネットワークとリアルタイムに連動させて製造業の競争力強化を目指すとしており、デジタルツインと同じ発想の取り組みです。
このような取り組みが活発化した背景としては、身の回りのあらゆるモノがインターネットにつながる技術「IoT(Internet of Things)」[*4]の急速な進展やネットワークの高速化によって、シミュレーションに用いることのできる情報が格段に増えたことが挙げられます。具体的には、モノの状態を把握するためのセンサーの小型化、軽量化、低価格化、高機能化が進んだことにより、現実の情報をリアルタイムで大量にサイバー空間へ送ることができるようになりました。
また、コンピュータ上でデータを再現して活用するために、現実世界の変化に応じて柔軟に、仮想空間の情報もアップデートする必要があります。IoT技術の発展により、このような課題にも対処できるようになったため、デジタルツインの実用化が進むようになりました。
デジタルツインの主な活用分野は製造業ですが、製品設計のみならず、自社工場の製造ラインや自社・他社を含めたサプライチェーン全体にも応用できます[*3], (図2)。
図2: 活用が広がるデジタルツイン
出典: NTTコムウェア株式会社「連動する『フィジカル』と『サイバー』 製造業を革新するデジタルツイン。都市や社会を一変する可能性も」
https://www.nttcom.co.jp/comware_plus/img/201803_DigitalTwin.pdf, p.3
デジタルツインのメリット
技術の普及により活用範囲の広がるデジタルツインには、様々なメリットがあります。その中でも三点をご紹介します。
一つ目は、低コストで製品の品質向上に寄与できる点です[*5]。
製品の品質を向上させるためには、複数回試作を実施する必要があります。デジタルツイン活用前までは、経済的なコストや労力、時間などが限られている理由から、試行できる回数にも限界がありました。デジタルツインによって、コストを抑えた上で多くのトライアンドエラーを行うことができるようになります[*5], (図3)。
図3: デジタルツインのメリット(品質向上)
出典: SoftBank「【図解】デジタルツインとは?やさしく解説」
https://www.softbank.jp/biz/blog/business/articles/202009/digital-twin/
二つ目は、リスクが軽減できる点です。
通常では、稼働後に発生しうるインシデント(事故などの危難が発生するおそれのある事態)を予測しきれないこともあり、リスクが不透明なまま開発・製造がスタートする場合もあります。デジタルツインでは、仮想空間上で事前に発生しうるインシデントの予測が可能となるため、低リスクで事業をスタートできるようになります。
三つ目は、アフターサービスの充実化を図ることができる点です。デジタルツインは、製品の製造段階だけではなく、出荷後の状態もリアルタイムで逐一確認することができます。例えば、製品に取り付けたセンサーによってユーザーの使用状況を分析することで、顧客が求めているニーズや不満点を的確に察知し、最適な使用方法を提案したり、故障時期を予測してメンテナンスを実施したりすることも可能です[*5], (図4)。
図4: デジタルツインのメリット(アフターサービスの充実)
出典: SoftBank「【図解】デジタルツインとは?やさしく解説」
https://www.softbank.jp/biz/blog/business/articles/202009/digital-twin/
電力分野におけるデジタルツイン活用の動向
以上のように、様々なメリットがあるデジタルツインは、電力分野での活用も広がっており、AIやドローン技術と掛け合わせて、発電量の最適化や省人化に向けた取り組みが実施されています[*6]
今回は電気事業の発電分野と送配電分野、小売分野の3つにおける活用事例を紹介していきたいと思います。
発電分野におけるデジタルツイン事例
発電分野においては、環境負荷を低減するため、オペレーションの効率化と発電設備の稼働率の向上が求められています。特に、ボイラー燃焼調整をはじめとする発電プラントの最適制御や、設備建設に適切な立地選定の最適化は重要な課題です[*6]。
まず、風力発電にデジタルツインを活用している事例をみてみましょう。
GEは「デジタル・ウインド・ファーム」を通じ、最も効率の良い設計・立地の選定と、非常に効率的なオペレーションを提案しています (図5)。
図5: デジタルツインを活用したGEの「デジタル・ウィンド・ファーム」
出典: 資源エネルギー庁「電力分野におけるデジタル化について 2017年7月7日」
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/004_06_00.pdf, p.8
この「デジタル・ウインド・ファーム」はクラウドベースのコンピュータ内にデジタルツインとして仮想的に構築されます。エンジニアは各発電機のポールの高さ、ローターの直径、タービンの出力などを20種類もの組み合わせの中から選択して、シミュレーションした上で、最も効率の良い設計の発電機を現実世界に構築することができます。
さらに、このデジタルツインが、実際の風力発電所から送信されるデータを処理し、より効率的なオペレーションのための提案を継続的に提供します。
これは風力業界にとって、画期的な技術改革だと評価されています。
また、経済産業省は、AIの活用によるビックデータ分析を行い、デジタルツインを用いて火力発電所におけるオペレーションの高効率化(熱効率の最大化等)を図る事業を推進しています[*7]。
空気/燃料比のリアルタイム制御や、ボイラー燃焼の最適制御を通じた熱効率の向上を図るものです[*7]。
当事業では、デジタルツインを活用した三菱日立パワーシステムズ株式会社による石炭焚きボイラー向けサービス“MHPS-TOMONI”が導入されています。
ボイラー向けのデジタルツインは、火力発電用ボイラーの圧力・温度・流量などの計測データを収集し、AIやボイラーメーカとしてのノウハウを活用してコンピュータ上に実際のボイラーと同じ挙動を示すボイラーを再現し、制御装置に最適な設定をフィードバックします[*9], (図6)。
図6: 石炭焚きボイラー向けデジタルツイン
出典: 三菱重工「機械学習を適用したボイラデジタルツイン」
https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/554/554130.pdf, p.2
送配電分野におけるデジタルツイン事例
送電分野では、設備の高経年化や保安人材の不足等により、今後十分な保守点検が困難になることが予想されています。そこで進められているのが、ドローンを活用したデータの遠隔取得や、異常有無判断の自動化などの研究です[*7]。
例えば、株式会社東芝では、ドローンによる送配電や鉄塔などの巡視・点検技術の開発が行われています。山間部など作業員がアクセスしにくい場所のデータを収集し、デジタル上で情報を構築・分析することによって点検が容易になるとともに、作業時間の短縮・迅速な状況把握が可能となっています[*6], (図7)。
図7: ドローンによる電力インフラの設備点検イメージ
出典: 資源エネルギー庁「電力分野におけるデジタル化について 2017年7月7日」
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/004_06_00.pdf, p.10
この技術では、3Dレーザ計測技術を使って対象施設の形状を計測し、サイバー空間上に施設の形状を三次元に再現します。次に、株式会社東芝の生産シミュレーション技術を活用して、施設を撮影するドローンの最適飛行ルートをサイバー空間上で生成します。
その上で、その最適な飛行ルートに従ってドローンが自律飛行して現実の空間上で施設を撮影し、施設をサイバー空間上に三次元でより精緻に再構成します。
こうしてドローンが撮影した画像に株式会社東芝の画像解析技術を使うと、錆などが検出され、劣化箇所を特定することができます。また、定期的に点検することで経時変化を把握することができ、将来の劣化の予測が期待できます[*10]。
小売分野におけるデジタルツイン事例
電気の有効活用に向けては、発電所のような供給側だけでなく、電気を使う需要家による取り組みも不可欠です。そこで現在、デジタルツインと電力ビックデータを活用して、需要家向けの「電力の見える化」や「節電アドバイス」など、様々なサービスの実証実験が開始されています[*6]。
例えば、KDDI株式会社は、三重県桑名市と連携して、全国約1万4千世帯のモニターからリアルタイムで得られる電力ビックデータを活用した生活支援サービス提供の実証実験を開始しています[*6], (図8)。
図8: 電力データを活用した生活支援サービス
出典: 資源エネルギー庁「電力分野におけるデジタル化について 2017年7月7日」
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/004_06_00.pdf, p.12
本サービスでは、収集されたデータを解析し、各世帯のライフスタイルや状況を推測することで、各家庭の特徴に合わせた節電アドバイスなどの提供が可能になるとしています。
KDDI以外にも、様々な企業が電力小売分野におけるデジタルツイン技術の活用を進めています。例えば、株式会社NTTデータは電力ビックデータ解析によって電力需要量、風力発電量、電力卸市場取引価格を予測するサービスを提供しています[*6]。
課題と今後の展望
電力分野において積極的に活用され始めているデジタルツイン技術ですが、一方で普及に向けた課題も山積しています。
例えば、小売分野向けにデジタルツイン技術を活用する場合には、個人情報を取り扱うことがありますが、その際は個人情報保護に関する法令や情報を提供する消費者との取り決めが不可欠です[*11]。
また、周辺環境を含めた全ての要素をモニタリングし、仮想空間に情報提供するのは難しく、仮想空間内での予測精度向上にも限界があります。
以上のように課題もありますが、仮想空間内で、現実に近い精度で将来予測ができるデジタルツインは、環境に配慮した新たなシミュレーションの方法と言えます。省力化・省人化が進む今後の社会で、大きなポテンシャルを秘めていると言えるでしょう。
参照・引用を見る
*1
ICT Business Online「デジタルツインとは」NTT Communications
https://www.ntt.com/bizon/glossary/j-t/digital-twin.html
*2
総務省「デジタルツインって何?」
https://www.soumu.go.jp/hakusho-kids/use/economy/economy_11.html
*3
NTTコムウェア株式会社「連動する『フィジカル』と『サイバー』 製造業を革新するデジタルツイン。都市や社会を一変する可能性も」
https://www.nttcom.co.jp/comware_plus/img/201803_DigitalTwin.pdf, p.2, p.3, p.4
*4
ERPNAVI「IoT(モノのインターネット)とは? 事例つきで技術や仕組みを分かりやすく解説」
https://www.otsuka-shokai.co.jp/erpnavi/category/manufacturing/sp/solving-problems/archive/220415-02.html
*5
SoftBank「【図解】デジタルツインとは?やさしく解説」
https://www.softbank.jp/biz/blog/business/articles/202009/digital-twin/
*6
資源エネルギー庁「電力分野におけるデジタル化について」(2017)
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/004_06_00.pdf, p.4, p.6, p.8, p.10, p.12, p.22
*7
資源エネルギー庁「電力分野におけるデジタル化について」(2018)
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/009_08_00.pdf, p.7, p.8, p.10
*8
日立造船株式会社「脱硝装置・脱硝触媒」
https://www.hitachizosen.co.jp/business/field/marine/denitration.html
*9
三菱重工「機械学習を適用したボイラデジタルツイン」発行元: 三菱重工技報 Vol.55 No.4 (2018) パワードメイン 新事業特集
https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/554/554130.pdf, p.1, p.2
*10
東芝エネルギーシステムズ株式会社「ニュースリリース ドローンを活用したプラント施設や高所設備の効率的・高精度な点検技術を開発」
https://www.global.toshiba/jp/news/energy/2019/10/news-20191029-01.html
*11
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ経営研究所「デジタルツインの現状に関する調査研究の請負成果報告書」総務省情報流通行政局情報通信政策課情報通信経済室(2021)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/r03_06_houkoku.pdf, p.6, p.7