日本の海では生き物が減っている…… 海洋の貧栄養化から自然環境のコントロールの難しさを考える

日本の内湾では、「富栄養化」が長年にわたり問題になってきました。しかし、公害問題が表面化した1960年代後半以降、富栄養化対策が行われ、水質は改善傾向にあります。

その一方で、日本では近年「貧栄養化」という富栄養化と反対の現象が発生して問題になっていることをご存じでしょうか。この現象は、瀬戸内海や伊勢湾などの閉鎖性水域で頻繁に観測されており、下水処理基準の緩和による対策が新たに検討されています。

今回は貧栄養化というこれまでなかった問題を通して、人間の施策が及ぼす自然環境への影響とコントロールの難しさを考えます。

海の生態系システム

地表の約7割は海に覆われており、地球上に存在する水の約97%は海水であると見積もられています[*1]。この大量の海水は、気温や気候を調節したり、水や炭素を貯蔵したり、地球環境維持のために様々な役割を果たしています。海があるおかげで物質が循環し、様々な生物がはぐくまれているとも言えます[*2],[*3]。

豊かな海を作るためには森、川、里の存在が欠かせません。森に降った雨は、山や森に蓄えられやがて川に流れ込みます。流れ込んだ水には葉や腐葉土から流れ出た栄養塩が含まれており、海の一次生産者である植物プランクトンや海藻などのエサとなるのです[*4]。

自然から流れ出る栄養塩だけでなく、私たち人間が出す生活排水や工場排水にも窒素やリンが多く含まれています。これらも栄養塩として植物プランクトンの餌となることをご存じでしょうか[*5]。栄養塩を餌として増えた植物プランクトンは動物プランクトンの餌となり、動物プランクトンは魚類などの餌となります。

さらに、魚類は、漁獲、鳥や陸上の肉食動物による捕食などによって再び陸地に戻ることで、森、川、里、海の絶妙なバランスが成り立ち、物質循環が行われているのです(図1)。

しかし、この生態系システムが人間の活動により壊れつつあります。

図1: 里海と物質循環
出典: 環境省「里海と物質循環」
https://www.env.go.jp/water/heisa/satoumi/03.html

海のバランスが崩壊―貧栄養化の原因

海の生態系システムは重要な役割を持っていますが、人類の文明が発達するにつれ、その絶妙なバランスは崩れつつあります。

富栄養化とは

まず問題となったのは「富栄養化」です。

富栄養化とは水中に溶けている栄養塩が多すぎる状態のことをいいます[*4]

古くは18世紀の中頃から19世紀にかけて起こった産業革命に伴い、イギリスのロンドンで人口集中が発生しテムズ河の水質汚濁が起こった事例が挙げられます[*6]。

日本においては1960年代~1970年代の高度成長期に、窒素やリンといった栄養塩を多く含んだ工場排水や生活排水が陸から海に大量に流れ込み、富栄養化が著しく進行しました[*7]。

富栄養化が進行すると、栄養塩を利用する植物プランクトンが増殖し、赤潮や有害藻類の異常増殖が発生します。そしてそれが海底の貧酸素化や青潮等を誘発し、海の生態系が大きなダメージを受けてしまうのです[*4]。

青潮とは、酸素が少ない海底の水が海面まで上昇して起こる現象です。富栄養化の進行により増えた植物プランクトンが海底に沈むと、バクテリアが死骸を分解します。分解されるときに酸素が消費されるため、海底の海水は貧酸素状態となり、硫化水素が蓄積されます。硫化水素を含んだ貧酸素状態の海水が海面まで上昇すると酸素と反応し、硫黄のコロイド(極微細な粒子)が大量に生成され、海水が青白く見えるのです[*8]。

日本では閉鎖性水域である東京湾、伊勢湾、瀬戸内海などで栄養塩による環境負荷が著しく、なかでも瀬戸内海は、1979年からのデータを見ると窒素・リン共に他の閉鎖性水域よりもかなり負荷が多いことがわかります(図2)。

図2: 閉鎖性海域の汚濁負荷量の削減経過
出典:環境省「閉鎖性海域対策の現状」(2018)
https://www.erca.go.jp/suishinhi/kenkyuseika/pdf/yamamoto.pdf, p.4

また、窒素・リン等の栄養塩類の増加に伴う水域の富栄養化は赤潮を引き起こすため[*9]、瀬戸内海でも1970年代に多くの赤潮が発生しています(図3)。1972年には赤潮が発生したことにより1,400万尾もの養殖ハマチが斃死し、71億円の記録的な被害が出てしまいました[*10]。

図3:瀬戸内海の赤潮発生件数と漁業被害件数の推移
出典:瀬戸内海漁業調整事務所「赤潮の発生状況」(2020)
https://www.jfa.maff.go.jp/setouti/akasio/

さらに、赤潮は漁業被害だけでなく、その見た目から景観にも影響を及ぼすため問題となっています(図4)。

図4:赤潮の発生(中国新聞社提供)
出典:せとうちネット「瀬戸内海は今、病んでいる」
https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNet/seto/g1/g1chapter2/kankyouwaima/yandeiru.html

世界中で見られる富栄養化

富栄養化の問題が発生しているのは日本だけではありません。富栄養化の対策を行っているにもかかわらず、深刻な状況が続いている国もあります。

ヨーロッパ

欧州環境庁(EEA)は、バルト海、黒海、地中海、北東大西洋では評価対象地域の23%が富栄養化の状態にあり、特にバルト海では評価対象海域の99%で富栄養化が見られたと発表しています。長年の対策により状況は改善しているものの、当初の目標であった2020年までに海を健全な状態にすることは困難であるとも述べています[*11]。

アメリカ

アメリカ海洋大気庁(NOAA)は、富栄養化水域でCO2が発生し、海が酸性化していると報告しています。この報告では、大気中CO2や、富栄養化によって増えた藻類の腐敗などで発生したCO2を海が吸収することで、酸性化が進んでいると予測されています。これにより地域産業であるカキ漁業に影響が出て、地元の雇用へのダメージも懸念されている状態です[*12]。

アフリカ

富栄養化は海だけでなく、湖沼でも発生します。

アフリカ湖沼では富栄養化によるホテイアオイの大量繁茂や、現地の生活環境の悪化が問題視されています。特に飲料水源として取水されている湖水の水質悪化は深刻な問題です。

アフリカでは下水道が整備されても老朽化による設備の機能不全がみられ、根本的な富栄養化問題の解決が難しい状態にあります [*13]。

貧栄養化とは

前述の通り、富栄養化に起因する海洋環境の悪化は漁業や景観、時には衛生環境にも大きな影響を与えます。そのため、日本では閉鎖性水域の水質保全に対する取り組みが始められ、1970年には「水質汚濁防止法」が施行されました[*14]。特に栄養塩の負荷が大きかった瀬戸内海では1973年に「瀬戸内海環境保全臨時措置法」が成立しました[*15]。

法律が施行されて以降、下水施設の高度処理化が推進され、代表的な閉鎖性水域である東京湾・伊勢湾・瀬戸内海で、窒素・リン共に負荷量が減少傾向にあることがわかります[*16] ,(図2)。それに伴い、瀬戸内海では赤潮の発生件数も大幅に減少しています(図3)。

閉鎖性水域の水質が良好になった一方で、新たな問題が発生しました。それが「貧栄養化」という現象です。

貧栄養化は水中に溶けている栄養塩が少なすぎるため、生物の生産性が低くなることをいいます(図5)。この貧栄養化により、近年漁獲量の低下や海苔の品質低下などの被害が発生しているのです。

図5: 森・川・海における物質循環
出典:せとうちネット「森・川・海における物質循環と人との関わり」(2010)
https://www.env.go.jp/water/heisa/satoumi/common/morikawaumi.pdf, p.1, p2

貧栄養化がもたらす海洋環境の変化

一見、栄養塩による環境負荷が軽減されれば、水もきれいになり水生生物にとってもいいように思えます。実際、行政も環境負荷を減らすために様々な対策を行ってきました。しかし、現実には思いもよらない結果が待ち受けていました。

日本における貧栄養化の影響

法整備や下水処理技術の向上で水質の改善が実現した一方で、東京湾・伊勢湾・瀬戸内海では漁獲量が著しく低下するという現象がみられるようになりました(図6), (図7), (図8)。

図6:東京湾における都県別・総漁獲量の推移
出典: 国立研究開発法人 水産研究・教育機構「東京湾の漁業 江戸前とは?漁獲される魚種の変化」(2021)
http://nrifs.fra.affrc.go.jp/publication/Tokyowan/PDF/panfu.pdf, p.1

図7: 伊勢湾(三重県側)の漁獲量
出典:三重県環境生活部「きれいで豊かな伊勢湾再生に向けた三重県の現状と課題」(2020)
https://www.env.go.jp/council/09water/y0920-03b/mat07.pdf, p.7
図8:瀬戸内海区/海面漁業漁獲量の推移
出典:瀬戸内海漁業調整事務所「管内の漁業・養殖業の概要」(2016)
https://www.jfa.maff.go.jp/setouti/tokei/index.html

その他にも、海苔の色落ち現象が発生し、品質低下に悩んでいる生産者も多くいます[*17], (図9)。

漁獲量や海苔の品質低下には、気候変動や海水温上昇などの要因も考えられますが、貧栄養化が主な原因であると言われています[*17], [*18]。すでに、伊勢湾では漁業者や県議会から海域への栄養塩類の供給を要望する声も上がっている状況です[*18]。

図9:各漁場における,低品質ノリ枚数の割合の変化
出典:三重県環境生活部「きれいで豊かな伊勢湾再生に向けた三重県の現状と課題」(2020)
https://www.env.go.jp/council/09water/y0920-03b/mat07.pdf, p.7

日本だけではない貧栄養化現象

多くの国では現在も富栄養化が多く観察されるものの、日本以外にも貧栄養化が問題視されている地域があります。

その最たる例が、オランダやドイツに面している北海南部です。

北海南部はもともと漁業が盛んな地域で、イカナゴやタラなどが豊富に取れる水産資源が豊富な地域でした。その一方で、この地域は人口密度が高く1950年代から1980年代にかけて窒素やリンといった栄養塩類の濃度上昇が報告されています。

この対策のために様々な栄養塩負荷削減施策が行われたことと、東西冷戦の終了などに伴う社会構造の変化により栄養塩による負荷は大幅に軽減しました。

しかし、ここでも1980年代後半には15万トンに達したカレイの一種であるプレイスの漁獲量が、2000年代に入ると約5万トンまで低迷したのです[*19]。

当初、漁獲量低迷はプレイスの乱獲によるものと考えられていましたが、漁獲量の制限を設けた後も資源回復の効果は見られませんでした。このため、2000年代に入ってからのプレイスの漁獲量減少は、海水温の上昇や栄養塩類の減少、つまり貧栄養化が原因であると考えられています。

まとめ 自然環境のコントロールの難しさ

高度経済成長期に発生した富栄養化に対する対策として、法律の施行や下水処理技術の向上により、栄養塩による環境負荷は減少しました[*5], [*15], [*16]。これは迅速な対応が行われた賜物といえるでしょう。

しかし、今では貧栄養化という全く逆の現象が発生し、多くの漁業関係者を悩ませています。

貧栄養化が表面化した現在は、各地で様々な対応が検討されており、兵庫県ではこれまで規制してきた海水中の窒素濃度について下限値を設け、下水処理場の水質基準が見直される予定です[*20]。

他にも、佐賀県では季節によって下水処理場から排出される栄養塩濃度を変更し、海苔養殖への影響を軽減する取り組みが行われています[*21]。

しかしながら、問題が完全に解決したわけではなく、今後も地域ごとに具体的な対策が必要です。

もともと自然は絶妙なバランスの上に成り立っています。今回の富栄養化と貧栄養化の事例からも分かるように、いったんそのバランスが崩れると元の状態を取り戻すことは容易ではありません。

環境負荷の改善を目的とした施策であっても、思いもよらない結果を生んでしまうのです。

今、地球の環境は大きく変わりつつあります。

これ以上自然のバランスを崩さないために、私たちの生活が自然にどのような影響を与えているのか、改めて考えてみませんか。

 

\ HATCHメールマガジンのおしらせ /

HATCHでは登録をしていただいた方に、メールマガジンを月一回のペースでお届けしています。

メルマガでは、おすすめ記事の抜粋や、HATCHを運営する自然電力グループの最新のニュース、編集部によるサステナビリティ関連の小話などを発信しています。

登録は以下のリンクから行えます。ぜひご登録ください。

▶︎メルマガ登録

\ 自然電力からのおしらせ /

1MW(メガワット)の太陽光発電所で杉の木何本分のCO2を削減できるでしょう?
答えは約5万2千本分。1MWの太陽光発電所には約1.6haの土地が必要です。

太陽光発電事業にご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

国内外で10年間の実績をもつ自然電力グループが、サポートさせていただきます。

▶︎お問い合わせフォーム

▶︎太陽光発電事業について詳しく見る

▶︎自然電力グループについて

ぜひ自然電力のSNSをフォローお願いします!

Twitter @HATCH_JPN
Facebook @shizenenergy

参照・引用を見る

*1
環境省「海洋生物多様性 保全戦略」(2011)
https://www.env.go.jp/nature/biodic/kaiyo-hozen/pdf/pdf_pf_jap_all.pdf, 5枚目 「前文」

*2
環境省「今後の海洋環境保全のあり方に関する懇談会中間報告書について」(1999)
https://www.env.go.jp/press/2090.html

*3
環境省「海のめぐみって何だろう?:海といういのちの世界」
https://www.env.go.jp/nature/biodic/kaiyo-hozen/favor/favor02.html

*4
環境省「森・川・海における物質循環と人との関わり」(2010)
https://www.env.go.jp/water/heisa/satoumi/common/morikawaumi.pdf, p.1, p.7

*5
国立研究開発法人 国立環境研究所「富栄養化対策(発生源対応)」
https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=105

*6
公益社団法人 日本水環境学会「水質汚濁研究第2巻 第3号」(2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jswe1978/2/3/2_3_123/_pdf/-char/ja, p.2

*7
第41回全国豊かな海づくり大会「豊かな海とは?」(2010)
https://hyogo-yutakanaumi.com/fishery/sea/change/

*8
公益社団法人日本港湾協会「港湾用語の基礎知識」(2018)
https://www.phaj.or.jp/distribution/lib/basic_knowledge/201712_62.pdf

*9
東京都環境局「赤潮とは?」(2018)
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/water/tokyo_bay/red_tide/about.html

*10
せとうちネット「赤潮の発生状況」(2019)
https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNet/seto/g2/g2cat01/akashio/index.html

*11
European Environment Agency「Eutrophication remains a major problem for Europe’s seas despite some progress」(2019)
https://www.eea.europa.eu/highlights/eutrophication-remains-a-major-problem

*12
国立研究開発法人 国立環境研究所「アメリカ海洋大気庁、富栄養化水域で酸性化が加速するとの研究結果を報告」 (2012)
https://tenbou.nies.go.jp/news/fnews/detail.php?i=9437

*13
財団法人 国際湖沼環境委員会「アフリカにおけるILBMプラットフォーム・プロセスの推進」 (2013)
https://www.ilec.or.jp/wp-content/uploads/2018/07/ILBMPP.pdf, p.1, p.6, p.28 p.31

*14
環境省「水質汚濁防止法の施行について」 (1971)
https://www.env.go.jp/hourei/05/000136.html

*15
環境省「瀬戸内海環境保全臨時措置法の施行について」  (1973)
https://www.env.go.jp/hourei/05/000154.html

*16
国立研究開発法人 国立環境研究所「富栄養化対策(発生源対応)」
https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=105

*17
NHK「きれいすぎる海”で、いま何が」  (2021)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210325/k10012933301000.html

*18
三重県環境生活部「きれいで豊かな伊勢湾再生に向けた三重県の現状と課題」(2020)
https://www.env.go.jp/council/09water/y0920-03b/mat07.pdf, p.7

*19
山本民次・花里孝幸『海と湖の貧栄養化 水清ければ魚棲まず』他人書館,  p.151, p.152, p.156, p.157

*20
神戸新聞「瀬戸内海「きれい過ぎ」ダメ? 「豊かな海」目指し水質管理に新基準」(2019)
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012942544.shtml

*21
佐賀市上下水道局「下水処理施設の季節別運転管理によるノリ養殖海域への効果」(2019)
https://www.water.saga.saga.jp/main/14.html

 

メルマガ登録