暮らしやすい町ってどんな町だろう?
交通の便の良さや、公共施設の充実度、自然環境の豊かさなど――、住んでいて居心地が良いと感じられる条件はいろいろ挙げられますが、「住民同士のつながり」を、指標の一つとする人も多いのではないでしょうか。
人の交流が生まれる場所としては、例えば、カフェなどの飲食店も、地域コミュニティのハブとなる可能性を秘めています。
熊本県合志市に新しくオープンした「Jicca(ジッカ)」は、3人のお母さんが立ち上げたカフェです。一軒の空き家をリノベーションした空間で、座敷の中心にはキッズスペースがあり、子連れの親御さんもゆっくりと食事を楽しみながらくつろぐことができます。
「子育て世代の心の拠り所を作りたい」「合志を、みんなが帰りたくなる町にしたい」という思いから生まれたJicca。実際にどのような人が集まり、どのような交流が生まれているのでしょうか。(2024年2月取材)
つながりの希薄化と、子育て世代の孤立
熊本県の中北部に位置する合志市は、阿蘇外輪山系に接する中山間地域と、菊池川・白川の流域に広がる平野・台地からなる県内有数の農業地帯です。熊本市に隣接するベッドタウンでもあり、最近では、半導体ファウンドリー世界最大手、台湾TSMCの工場が隣町にできた影響で開発が進んでいます。
人口が増え、新しい家が建ち並び、立派な道路も通る「住みやすい町」。しかし一方では、地域コミュニティの希薄化を懸念する声も挙がっています。
「Uターン時、生まれ育った合志の町の風景が様変わりしている様子に正直戸惑いました。また、親が子どもを連れて気軽に飲食できる場所が少なく、近年では、住民同士の交流も減っていることから、子育て世代の孤立化が進んでいると感じます」
溝尻 亜由美 Jicca代表
1983年、熊本県合志市生まれ。出版社やPR会社等の勤務を経て、現在はフリーランスのディレクター、ライターとして活動。株式会社 母家の代表として、2024年1月にカフェ「Jicca」を開業。
●note 熊本リーダーズスクール:親子が気兼ねなくくつろげる“実家のような温かな場所”を
●HATCH:町×企業×発電事業者 地域を育てるエコシステムから生まれた「お母さん3人の共同経営」
Jiccaの立地は、合志市でも特に開発が進む御代志エリア。近年では新築住宅が続々と建ち、昔からの住民と転入者が混在しているものの、交流はあまり盛んではありません。
「将来、この町はどうなっているのだろう」「市民にずっと愛される土地にするために、何かできることはないだろうか」
こうした危機感から、溝尻さんは地域のビジネススクール※1での学びを通じて、お店の開業を決意しました。
※1: 一般社団法人GBPラボラトリーズ(旧:一般社団法人自然基金)が2020年度から実施している 熊本リーダーズスクール。地域コミュニティを牽引する次世代リーダーの輩出を目指して、これからの地域ビジネスのかたちを各分野のプロフェッショナルから学ぶ。
Jiccaのコンセプトは、「親子でごろん。実家のようにくつろげるカフェ」
「思い出」が町への愛着を生む
開発が進む地域であっても、空き家の問題は全国共通の課題です。Jiccaは、御代志エリアの一角で長年空き家となっていた、築50年超の民家をフルリノベーションして誕生しました。
「昔からある空き家だからこそ、周辺エリアの雰囲気を壊さず、場所に自然と溶け込んだ店づくりが可能と考え、今回の改修工事につながりました。
また、工事中は、部屋の壁塗りやウッドデッキのペイント、テーブルづくりなど、地域の親子を招いてのDIYワークショップを複数開催し、住民同士の交流も図りました。参加してくれた人がお店に愛着を持って、また来たいと思ってくれたらいいなと思って」
ワークショップには、SNSなどを通じてJiccaの思いに共感した子育て世代を中心に、建築士や業者を含め、計80人近くが参加しました。
「壁には塗装のムラがあったり、手形がついていたりと、手作りだからこその仕上がり。でも、『ここは私が塗ったんだよ』と子どもも大人も嬉しそうにしてくれて。参加してくれた方は、実際にお店がオープンするとみんな遊びに来てくれました」
「合志の町がもっと愛されるためには『思い出』が必要で、Jiccaがそういう場所になって欲しい」と話す溝尻さん。こうした実体験は人の記憶に残り、また、ここにしかない空間を作り出していきます。
「また、こうした取り組みを始めると、意外な接点からつながりが生まれていくのも面白いですね。
実は、お世話になっている電気工事屋さんが、リノベーションから広がる人的ネットワークの研究をされている尚絅大学短期大学部の准教授を紹介してくれました。どういう風にして人がつながっていくのか、Jiccaをゼミの演習テーマとして取り上げてくれています」
子育て世代にとっての第三の場所
客層の中心は、ターゲットに考えていた未就学児がいるお母さんたち。平日・休日問わず、市外や福岡などの遠方からもお客さんが訪れ、コンセプトの「実家」に通じる食事も好評です。
「Jiccaでは、お母さんたちがまるで実家で過ごしているように、温かくて身体にやさしいご飯をゆっくり食べられるように、食事のメニューやシステムを考えました。
自分の経験上、子どもが小さいうちは、手間のかかるものはなかなか作れませんし、献立も子ども優先になりがちです。地元野菜を使ったできるだけ無添加の、ちょっと手の込んだ家庭料理で心も身体も元気になって欲しい」
メインと小鉢が選べて、ご飯・お味噌汁・飲み物はおかわり自由。食べる量が少ない未就学児と取り分けられる
また、カフェスタッフは、営業中に余裕があれば、赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に遊んだりして、お母さんたちにも積極的に声をかけるようにしています。
「私も経験があるのですが、知っている人が周りにいない子育てはとても孤独でしんどいものです。自分が子どもの頃は、近所の人の顔が見える環境で、『もう嫌』というくらいお互いのことを知っていましたが、いまとなっては、合志のような田舎の町ですら交流が少なく、寂しいと感じます。
最近のお母さんたちが、そこまで強いつながりを求めているかは分かりませんが、30分でもいいから面倒を見てくれる人がいたり、話ができる相手がいたら、気持ちが楽になるのではないでしょうか」
家族構成など最低限の情報を共有し、挨拶を交わせるような関係を築いておくことで、犯罪や災害などの非常時にも助け合える。住民同士のつながりが地域のセーフティーネットとして機能し、また、家庭でも職場でもない第三のつながりが、子育て世代にとっての心の拠り所となっていきます。
赤ちゃんを安心して寝かせられる国産い草の畳。仕切りのない空間では、お客さん同士の会話も生まれやすい
世代を超えたつながりが生まれる場所を目指して
Jiccaを訪れる人の中には、お店の思いやコンセプトに共感しているお客さんも多くいます。
「例えば、ベビーマッサージをしている方や、小さい子ども連れで参加できるイベントを開催している方など、様々な活動をされている方が来店し、問い合わせてくれます。子育てのサポートをしたい方がこれだけ多くいらっしゃることを、この場所を作ったことで実感しています。
他にも、木工のおもちゃを手作りし、保育所や子育て支援センターに無償で提供するなどの活動をしている地元のおじいさんたちが、Jicca用にいま制作してくれているんですよ。完成までは、既存のものをお借りしています」
地域の情報共有の場を目指し、チラシを置くスペースも設置している
お店がオープンする前に行われた200人くらいの市場調査では、30~40代の子育て世代から、「シニア世代と交流できるイベントをやりたい」という声が多く集まりました。
「やはり、お母さん・お父さんにとっては、近所に自分たちの子育てを応援してくれる人がいると知っているだけでも心持ちが違います。一方で、シニア世代も何か協力したいと思いつつ、『嫌がられたらどうしよう』という心配があって、微妙な距離感が開いてしまっている。
Jiccaでは、親同士が悩みや好きなことを共有したりするのはもちろん、例えば、地域の高齢者が親子に昔遊びや郷土料理を教えるなど、世代を超えた交流も生み出していきたいです。核家族化しているいま、家族内だけでは難しいことも、近所のおじいさんやおばあさんと一緒にだったら、解決することもあるかもしれない」
そこへ行けば気持ちが楽になったり、出会いがあったり、新しいことを知れたりする。そんな場所が身近にあることは、気持ちにゆとりをもたらし、居心地を良くさせます。
そして、「ここが私の慣れ親しんだ地域である」という愛着からコミュニティが生まれ、お互いさまの関係ができると、さらに住みやすくなり、人が集まってくる。
町のカフェから、人のつながりが、ひいては合志の地域に新しい文化が開いていくような、そんな期待が寄せられています。
カフェでご飯を食べた後、隣にある芝生の広場で思い切り体を動かして遊ぶ子どもたち