一人の人間の力は小さなものと思いがちです。「私だけが頑張っても環境は変わらない」と――。
しかし、皆で力を合わせることによって大きな成果を上げた環境保護活動は少なくありません。
そうした事例を紹介しながら、私たちにできるアクションについても考えていきます。
古代の湖・琵琶湖に起きた環境被害
滋賀県にある琵琶湖は約400万年前に誕生した、世界で3番目に古い歴史をもつ古代湖です[*1]。
約1100種の動植物が生息し、固有種は報告されているだけでも61種類を数えます[*2]。
湖水は工業、農業、発電などに広く利用され、上水道の給水を受けている人口は1400万人と日本最多で、近畿圏の人々の生活に不可欠な湖です。
1977年5月、その琵琶湖に淡水赤潮が発生しました。
水道水から異臭がして、養魚場で大量の魚が死んだのです。
赤潮は、微小な生物が異常に増殖して海などの水が赤く変色する現象です(写真1)。湖や沼などで起きるものは淡水赤潮と呼ばれています。
赤潮のおもな原因は「富栄養化」でした[*3]。
富栄養化とは、りんや窒素などの栄養塩類が多い状態になることで、赤潮やアオコなどのプランクトンが増殖して水中の酸素が減り、魚や藻が死滅し、水環境が悪化して異臭味などが発生します。
写真1: 琵琶湖の淡水赤潮
出典: 国立科学博物館「微細藻類のHABs」
https://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/habs/hab2c.html
滋賀県では高度成長期以降、工場立地や産業発展、京阪神地区のベッドタウン化などが進み、1970年代には年間2万人前後の勢いで人口が増え続けました[*4]。
しかし下水道の普及率は1975年時点で3.2%にとどまり、合成洗剤や肥料が混入した排水が琵琶湖に流れ込んでいました[*5](図1)。その合成洗剤や肥料に、りんや窒素が含まれていたと考えられています。
図1: 滋賀県の下水道処理人口普及率
出典: 滋賀県「下水道事業および下水道普及率」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5188360.pdf, p.91
市民の「石けん運動」が社会を変えた
滋賀県では1970年頃から、赤ちゃんのおむつかぶれや主婦の湿疹が目立ってきていました。原因は合成洗剤にあると考えられ、女性団体や主婦らが洗剤の勉強会、合成洗剤に代わる「石けん」の共同購入などに取組んでいました。
そうした中で発生したのが琵琶湖の淡水赤潮です。
県内では赤潮の発生を機に、りんを含む合成洗剤の使用をやめて天然油脂を主原料とする粉石けんを使おうという県民運動、いわゆる「石けん運動」が急速に広がりました(写真2)。
写真2: 滋賀県の「石けん運動」
出典: 滋賀県「琵琶湖ハンドブック三訂版」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22029.pdf, p.80-81「4-1石けん運動とびわ湖の日」
「石けん運動」は生協、漁協、農協、労働団体、福祉団体、青年会議所など幅広い層が参加するものに発展し[*6]、1978年には多数の県民が参加して「びわ湖を守る粉石けん使用推進県民運動」県連絡会議(通称「石けん会議」)を結成し、行政に対して早急に実効力のある対策をとるよう要求しました[*7]。
その結果、1980年に「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(通称「琵琶湖条例」)が施行されました。
同条例は、工場排水に対するりん・窒素の規制だけでなく、りん・窒素を含む家庭用合成洗剤の使用・販売・贈答の禁止、肥料の適正使用、生活排水や農業排水の指導など、りん・窒素を総合的に規制する画期的なものとなりました[*8]。
このような取組によって、滋賀県では粉石けんのみを使用する人の割合が昭和54年(1979年)4月の26%から、昭和55年(1980年)8月には70.6%に増加しました[*9](図2)。
図2: 滋賀県の粉石けん使用率の変化
出典:国土交通省「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(琵琶湖総合保全連絡調整会議、琵琶湖総合全推進協議会)
https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/biwako_hozen/pamphlet/pamphlet_j.pdf, p.15
また、昭和50年代以降は下水道の整備も飛躍的に進み、昭和50年代後半には琵琶湖の水質が大きく改善し、全窒素と全りんの濃度は減少しました[*10],(図3)。
図3: 琵琶湖の水質の経年変化
出典: 滋賀県 琵琶湖ハンドブック三訂版
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22088.pdf, p.198-199「8-3水質の変化」
県では琵琶湖条例制定の翌年に7月1日を「びわ湖の日」と決め、毎年、県内全域で県民参加の清掃作業を行っています[*11]。
さらに1992年7月1日に「ヨシ群落保全条例」を制定しました[*12]。
ヨシは湖沼や河川の水辺に生える植物で、水鳥や魚の生息場所になったり、湖岸の浸食防止や水質保全など様々な役割を果たします。同条例では美しい琵琶湖を次代に受け継ぐために、ヨシの保全、ヨシ群落の造成、植栽、清掃などを積極的に行うことを定めています。
なお1982年、茨城県で「霞ヶ浦の富栄養化の防止に関する条例」が施行されました[*13]。
こうした条例に対して合成洗剤の製造に携わる企業等は当初反対していましたが、影響の拡大を受け止めて「無りん合成洗剤」を開発し、生産を開始しました[*14]。
日本石鹸洗剤工業会によれば、1985年には粉末洗剤の無りん化が完了しています[*15]。
「琵琶湖を守ろう」という市民の願いはこのように大きなムーブメントとなり、新たな条例や仕組みを生み出すまでに発展しました。
当時の滋賀県知事・武村正義氏は、石けん運動を次のようにとらえています。
「たとえ粉石けんの方が、負担や手間がかかっても、琵琶湖を守るために自らが決意し、率先して実践していかなければならない。その上で他の人々にも広く呼び掛けていくという運動である。自らの問題を自らの知恵と責任で解決していくという、自治の原点に立つ住民運動であり、同時に琵琶湖を守るという社会意識に目覚め、公共の目的を実現するために一人ひとりが行動を起こすという住民運動である」[*16]
琵琶湖・南湖では近年、全窒素、全りんともに上昇傾向にあります。
環境を守る取組は地道に続けることが欠かせないと痛感させられます。
家庭の天ぷら油を集めて燃料を作る
ここからは市民が核となっている取組をさらに2つ紹介しましょう。
前述の「石けん運動」と並行して、家庭で天ぷらやフライなどの調理に使った残りの油、いわゆる「廃食用油」を回収して石けんにリサイクルする運動が1978年に始まり、多くの市町村に広がりました[*17]。
しかし無りん洗剤の誕生で石けんの利用率が低下したため、廃食用油の新たな使い道を探すことが課題になりました。
そこで考え出されたのが、バイオディーゼル(BDF)への利用です。
バイオディーゼルとは、バイオマス(生物資源)を原料とするディーゼルエンジン用燃料のことです。化石燃料に代わる燃料として注目され、欧米では利用が進んでいます[*18]。
日本では1997年、全国に先駆けて京都市で廃食用油のBDF利用が始まりました。
廃食用油の回収は月1回、市民ボランティアが各地区に拠点を設置し、近隣住民がペットボトルなどの容器に溜めておいた廃食用油を持ち寄るという方法で行われています。
取組を始めた当初、回収拠点はわずか13か所でしたが、2019年には1694か所へ。回収量は4265ℓから16.7万ℓへと増加しています(図4)。
一方、市ではBDFの品質規格の策定に取組み、2004年には高品質のBDFを安定供給するためのプラントを市内に建設しました。
回収した廃食用油はそのプラントでBDFにし、2019年時点で、ごみ収集車計167台、市バス108両に利用しています。
市では年1500tのCO2排出削減になっていると試算しています[*19]。
図4: 京都市における廃食用油の回収量と拠点の推移
出典: 京都市情報館「バイオディーゼル燃料化事業」
https://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/page/0000000008.html
近年、BDFの利用に新たな課題が持ち上がりました。
自動車の排ガス規制が強化され、従来のBDFでは規制に対応できなくなったのです[*20]。
そこで京都市は産学公共同で、世界初となる廃食用油を利用した「バイオ軽油」の開発に着手しました。
既に開発、実証運行には成功しているものの、現段階では製造コストが高く、本格利用には一層の技術革新が必要です。
しかし廃食用油の利用はCO2削減、リサイクル推進、水質環境の保護、市民の環境意識の向上など多くの意義があることから、市民は「将来世代に美しい環境をつなぐために、私たちにできることをするのが大切」と、引き続き廃食用油の回収、利用に取り組んでいます[*21]。
市民による市民のための自然保護運動
イギリスは18世紀の産業革命によって繁栄し、目覚ましい経済発展を遂げましたが、一方で、乱開発による自然破壊、化石燃料による大気汚染、工場排水による河川の汚染など、様々な環境問題が頻発するようになりました。
そうした中で立ち上がったのが、弁護士ロバート・ハンター、社会活動家オクタヴィア・ヒル、牧師ハードウィック・ローンズリィの3人です。
1895年、3人は国や行政に頼らず「国民の手で国民のために、貴重な自然や歴史的建造物などの資産を寄付や買取などで入手して保護し、将来へ受け継いでいく」という理念を掲げて組織を作り、運動を始めました。
これが「ザ・ナショナル・トラスト」(以後ナショナル・トラストと略)という慈善団体による「ナショナル・トラスト」運動です。
この「ナショナル」という語には、「国家の」ではなく「国民の」という意味が込められています。
多くの国民がその理念に賛同し、寄付や寄贈を行うようになりました。
よく知られているのは、絵本「ピーターラビット」の作者ビアトリクス・ポターです。
ナショナル・トラストが保護しているイギリス湖水地方の多くは、彼女の遺贈によるものです。
1907年、英国議会は国民のこうした自発的な運動を評価し、法的に支持するために「ナショナル・トラスト法」を制定しました。
同法は、ナショナル・トラストが保護する資産の譲渡、売却、抵当権の設定を禁じ、政府であっても国会の議決がなくては強制収用できないことなどを定めています[*22]。
これによってナショナル・トラストに寄付、寄贈された資産のすべては、永久に国民のものであると約束されたのです。
「一人の人の1万ポンドよりも、1万人の1ポンドずつ」、これがナショナル・トラストにおける寄付の理念です。
現在、ナショナル・トラストの会員は340万人を超えています。この数は、スコットランドを除くイギリス国民のおよそ16人に一人の割合に当たります。
そして保護している森林、景勝地、農村地帯などは約2500㎢、自然のままの海岸線は約1120㎞、歴史的建造物や庭園は300以上に及びます[*23]。
一人ひとりの力はささやかでも、多くの人が協力すれば偉大な力となり、不可能と思われるようなことも可能になるということをナショナル・トラスト運動は証しています。
この運動は時代とともにオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、韓国、台湾など世界へ広まり、日本では1964年、作家の大佛次郎氏が鎌倉市民とともに、乱開発から鎌倉を守るための運動を行ったのが最初です。現在は、絶滅に瀕しているツシマヤマネコを守る活動、釧路湿原の生態系の保護や保全に取り組む活動など、全国50以上の地域で風土に根差したナショナル・トラストが行われています[*24]。
美しい地球のために、ほんの少し頑張ってみよう
先に挙げた事例以外にも、もっと身近なところでは、節電、省エネ、マイバッグ、マイボトルなども、一人ひとりの小さな努力と協力で大きく発展した環境保護活動といえます。
私たちの暮らしのほとんどは地球環境と密接につながっています。便利さや快適さばかりを追求すれば環境は悪くなる一方ですが、一人ひとりが少し頑張って地球にやさしい生活を心がけることで、環境が目覚ましく改善する可能性があるのです。
例えば
- 掃除や食器洗いには重曹やクエン酸を使って、洗剤の使用は控える
- マイ箸、マイカトラリーを携帯して、割り箸を使わない
- テーブルや床の汚れは、ティッシュではなく布巾や雑巾で拭く
といったことを意識して生活してみるのも一つの方法でしょう。
ささやかなことで構わないので、自分にできることを長く続けていくことが大切です。
一人の力はたしかに小さいかもしれません。
しかし「環境を良くしたい」「美しい地球を残したい」というそれぞれの思いが集まり、形になったとき、世界の人々が幸せになり、美しい地球が戻ってくるに違いありません。
参照・引用を見る
*1
国土交通省「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(琵琶湖総合保全連絡調整会議、琵琶湖総合全推進協議会)
https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/biwako_hozen/pamphlet/pamphlet_j.pdf, p.2
*2
滋賀県「琵琶湖の概要」
https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/gaiyou.html
*3
国土交通省「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(琵琶湖総合保全連絡調整会議、琵琶湖総合全推進協議会)
https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/biwako_hozen/pamphlet/pamphlet_j.pdf, p.1, p.15
*4
環境省・持続可能な開発に向けた国際環境協力「第18章 琵琶湖」
https://www.env.go.jp/earth/coop/coop/document/wpctm_j/04-wpctmj1-18.pdf, p.252
*5
滋賀県「下水道事業および下水道普及率」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5188360.pdf, p.91
*6
環境省 平成10年版環境白書 第3章第1節3 「生活者の取り組みによる大きな力」
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h10/10650.html
*7
滋賀県「琵琶湖ハンドブック三訂版」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22029.pdf, p.80-81 第4章「4-1石けん運動とびわ湖の日」
*8
滋賀県「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」
https://www.pref.shiga.lg.jp/site/jourei/reiki_int/reiki_honbun/k001RG00001109.html
*9
国土交通省「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(琵琶湖総合保全連絡調整会議、琵琶湖総合全推進協議会)
https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/biwako_hozen/pamphlet/pamphlet_j.pdf, p.15
*10
滋賀県「琵琶湖ハンドブック三訂版」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22088.pdf, p.198-199
*11
滋賀県「びわ湖の日30周年の取組 報告書 ~びわ湖とつながる、びわ湖と生きる~」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21179.pdf, p.17
*12
滋賀県「ヨシ群落の保全」
https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/14060.html
*13
茨城県霞ケ浦問題協議会「清らかな水のために」
https://www.pref.ibaraki.jp/soshiki/seikatsukankyo/kasumigauraesc/06_shimin/kasukyou/documents/kiyorakanamizunotameni_2018_web.pdf, p.15
*14
環境省 平成10年版環境白書 第3章第1節3 「生活者の取り組みによる大きな力」
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h10/10650.html
*15
日本石鹸洗剤工業会「JSDAの沿革」
https://jsda.org/w/00_jsda/1ayumi_4.html
*16
環境省 平成10年版環境白書 第3章第1節3 「生活者の取り組みによる大きな力」
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h10/10650.html
*17
菜の花プロジェクトネットワーク「設立された背景は?」
http://www.nanohana.gr.jp/?page_id=2
*18
国立環境研究所「環境技術解説/バイオディーゼル」
https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=7
*19
京都市情報館「バイオディーゼル燃料化事業」
https://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/page/0000000008.html
*20
京都市情報館「『バイオ軽油』プロジェクトについて」
https://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/page/0000214641.html
*21
経済産業省 近畿経済産業局「ASTEM NEWS」
https://www.kansai.meti.go.jp/7kikaku/inovation/siryo8-2.pdf, p.2
*22
公益社団法人 日本ナショナル・トラスト協会 キーワード事典
http://www.ntrust.or.jp/about_ntrust/keyword.html#key_006
*23
小野まり『図説 英国ナショナル・トラスト紀行』河出書房新社, p.8
*24
公益社団法人 日本ナショナル・トラスト協会「全国のトラスト団体」
http://www.ntrust.or.jp/about_ntrust/link.html