問題解決にはさまざまな手法がありますが、“Less is More(少ないほど豊かだ)”という言葉があるように、引き算の発想がブレークスルーにつながることも少なくありません。
ところが、人間はつい足し算にこだわり、それが適正な判断を妨げるケースが多いという論文が、最近、権威ある学術誌『Nature』に発表されました。
このような思考の偏りであるバイアスのメカニズムとはどのようなものでしょうか。
バイアスは私たちの生活や環境問題にどのような影響をおよぼしているのでしょうか。
バイアスのメカニズムを把握し、それを手がかりにして環境問題を捉え直してみると、新たな解決の糸口が見えてくるかもしれません。
人は引き算より足し算を優先させる
2021年4月、イギリスの科学誌『Nature』に、バージニア大学の研究チームによる「Adding is favoured over subtracting in problem solving(問題解決では、引き算よりも足し算が優先される)」という論文が掲載されました。
まず、この論文の内容をみていきましょう[*1]。
たとえ引き算の方が良い解決策でも、足し算を選ぶ傾向
この論文の要旨は以下のようなものです。
人は問題解決にあたって、「引き算できるか」よりも「足し算できるか」の方を優先させて考える。
こうした傾向は、たとえ引き算することがより良い解決策である場合でも、また物理的なデザインの改善から抽象的なパズルの解き方まで様々な状況においても、つまり解決すべき問題がどのようなものであっても、広く当てはまる。
こうした結論にたどり着く前に研究チームは様々な実験を行いました。
まず、図1に示されているレゴの構造に関する実験です。
図1: レゴ構造の安定性向上に関する実験
出典: Tom Meyvis & Heeyoung Yoon“Adding is favoured over subtracting in problem solving”(2021)
https://www.nature.com/articles/d41586-021-00592-0
この実験の内容は以下のようなものです。
屋根の下のレゴを石積みのレンガでできた土台に見立てます。そのレンガでできた土台の4つの角のうち、奥の1つはたった1本の柱で屋根を支えています。
もし屋根の上にレンガ(ブロック)を載せたら、屋根が崩れ落ちて、右下の人形を押しつぶしてしまいます。
では、この構造をどのように変えたら、人形を押しつぶさないように、土台の上に屋根を載せることができるでしょうか。ブロックの追加コストが10セントであることを念頭に置いて考えるようにと、指示を出しました。
すると、ほとんどの実験参加者は、屋根をより安全に支えるために屋根の下に柱を追加しました。
しかし、より簡単で安価な解決策は、既存の柱を取り除き、屋根を土台の上に置くことです。
この実験を通じて、構造物の構成要素を減らすのではなく、追加しようとする参加者の様子が観察されました。
こうした傾向は、日常の意思決定に広く影響を与えています。
この論文には、これと同様の以下のような事例が報告されています。
- 大学が学生やコミュニティにより良いサービスを提供できるようにするためには、どのような変更が可能か提案するように大学の次期学長が要求した。すると、既存の規制、慣行、またはプログラムの削除に関連する提案はわずか11%だった。
- 10×10の白い格子に緑で非対称の形を描き、それを対称にするように指示したところ、緑のコマを削除するのではなく、追加する参加者が多かった。
この論文では、こうした解決法は「ヒューリスティックス」の一種であると述べられています。
では、ヒューリスティックスとはどのようなものなのでしょうか。
次のセクションで考えてみましょう。
加算のヒューリスティックス
私たちは日常生活で常に選択や解決方法を迫られています。
人間の解決方法には、時間をかけて確実な方法を探ろうとするものと、効率化を図るために少ない手がかりで短時間に決めてしまおうとするものがあります。
前者はアルゴリズム、後者はヒューリスティックスと呼ばれます[*2]。
アルゴリズムはコンピュータで知られますが、順序だてて一定の手続きをふめば正解に至る方法です。
一方のヒューリスティックスは「意思決定を簡素化および高速化するためのデフォルトの戦略」 [*1]で、少ない情報を手がかりにするため、必ずしも正解にたどりつけるとは限りませんが、効率的な方法ではあります。
脳科学の専門領域では、人の脳の働きを以下のように考えています[*3]。
ヒトの脳は、周囲状況を瞬時に把握し、リスクを回避し、必要な行動をとるための計算を瞬時に行うことのできるgiant computerである。このcomputerがフル稼働して自らを焼き尽くすことのないよう、脳は常に思考の近道をとる。そうすることで、脳が消費するエネルギーは20ワット程度で済む。
したがって、ヒューリスティックスは、思考のショートカット的役割を担っているため、人間なら誰しもそうした傾向をもち得るといえます。
“Less is More”という観点から環境問題を捉える視点
これまでみてきたように、人は「ここに何を追加できるか」というヒューリスティックスを適用する傾向があります。
ところが、実際にはこうした解決方法が、かえって解決を遠ざけてしまうことも少なくありません。
“Less is More(少ないほど豊かだ)”という言葉があります。
これは建築家のミース・ファン・デール・ローエが唱えた有名な言葉で、「少ないほど豊かだ」あるいは、「無駄がないほどよい」という意味です[*4]。
このコンセプトは、モダンデザインの機能主義を象徴する言葉として、今も生き続けています。
そう聞いて、iPhoneを思い浮かべた読者もいらっしゃるでしょう。ダイヤルボタンを省くことによって、より機能的になった“Less is More”の典型例です。
コロナ下での気づき
コロナ下で、私たちの日常生活は大きく変化しました。
そのひとつが勤務形態です。
これまで私たちは「毎日通勤して仕事場で働かなければならない」と考えていました。
ところが、コロナウイルス感染拡大に伴い、多くの会社がテレワークを取り入れました[*5], (図2)。
図2: テレワークの導入状況
出典: 総務省「令和2年通信利用動向調査」(2020)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/210618_1.pdf, p.5
2020年にテレワークを導入していた企業は全体の47.5%、今後導入予定がある企業は10.7%に及んでいます。
また、テレワークの導入形態として、在宅ワークを導入していた企業は87.4%に上ります[*5], (図3)。
図3: テレワークの導入状況
出典: 総務省「令和2年通信利用動向調査」(2020)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/210618_1.pdf, p.5
これを環境問題との関連で捉えると、多くの労働者がテレワークに移行したことで、CO2排出量の抑制につながったと考えられます[*6], (図4)。
図4: 人1人が1Km移動するときのCO2排出量
出典: 国土交通省北海道運輸局「エコ通勤を考えよう(参考資料)」
https://wwwtb.mlit.go.jp/hokkaido/bunyabetsu/kankyou/ecotsukin/3document03.pdf, p.2
正常性バイアス
人の思考は引き算より足し算を優先するというメカニズムについてお話してきましたが、それ以外にも人の思考には様々なバイアスがかかっています。例えば、環境問題がなかなか改善されない原因の1つとして「正常性バイアス」との関連も指摘されています[*7]
人間には自らの行動を客観的に評価して、過ちに気付き、修正する能力がある一方で、自分に都合の悪い情報を無視したり、楽観視する傾向もあります。
こうしたバイアスを「正常性バイアス」と呼びます。
災害時に、危険が迫っているのにもかかわらず避難勧告に従わない人が一定数いることが話題になりましたが、それもこの正常性バイアスの影響だといわれています。
また、実際に脅威を目の当たりにすると、私たちは超えてはならない「帰還不能点」を既に通り過ぎてしまったのではないかと不安を感じ、もう手遅れだ、何をやっても無駄だと思い込んでしまう傾向もあります。
引き算の発想は環境への負荷を減らす
「Adding is favoured over subtracting in problem solving」には、足し算の発想が環境問題の悪化につながることが指摘されています[*1]。
例えば、家の装飾に不満を感じた場合、不必要な家具を取り除くことが効果的であっても、そうとは考えずに、足し算の発想で、より多くの家具を購入することによって対処しようとする人もいるでしょう。
このような傾向は、特に物を持ちたがる消費者によく見られますが、それは消費を増大させるだけではなく、地球環境への負荷も増大させます。
製品を製造したり運搬したりする際にCO2が排出され、買い換える際には廃棄に伴う環境問題も生じるためです。
さらに、より大きな規模でいうと、個々の人々が足し算によって問題を解決しようとすると、その集積が環境的に持続不可能な社会現象を引き起こすおそれがあることが指摘されています。
以上のように考えると、環境問題の改善を阻んでいる要因の1つは、私たちが無意識に抱いているバイアスであるといっていいでしょう。
バイアスから解放されるために
最後に、バイアスから逃れるための方法を探ってみましょう。
はじめの方でみた実験で、参加者が引き算の解決法を思いつかなかった理由は、引き算に価値がないと考えていたわけではなく、そのことを考慮しなかったからだと研究者は述べています[*1]。
また、急かされたり気をそらされたりした時には足し算をする傾向が顕著でした。
さらに、人は、何かを取り除くという方法は何か新しいものを追加するよりも創造性が低いと感じたり、過去の経験から足し算の方が優れた方法だと一般化していたりする可能性もあります。
しかし、実験では、それとは逆に、引き算に注意を向けるような明確な指示が出されていたり、参加者が考えたり実践したりする機会が増えた場合は、引き算による解決策をとる可能性が高まりました。
このことは、 「ここに何を追加できるか」というヒューリスティックスは、努力すれば克服できることを示唆しています。
注目すべきことに、メカニズム的には、足し算へのバイアスが常に生じるとは限らないのです。
引き算の解決法の方が、まだそこに存在していないものを想像する必要がないため、足し算の解決法より間違いなく簡単なはずです。とらなかった行動を追加するよりも、既にとった行動を取り消すことの方が楽なのです。
そこで、組織にとって有効な方法として考えられるのは、引き算の解決法を高く評価し、推奨することです。
そして、問題解決にあたっては、引き算の方法も考慮するように、明確な指示を出し、そのことを意識化することも重要です。
個人にできることとしては、足し算に偏りがちなバイアスのメカニズムを理解し、「多くの場合は少ない方がいい」ことを意識して、問題解決にあたることです。
思考のショートカットともいえるバイアスは、無意識のうちに私たちの中に潜んでいます。
そのことを意識化し、引き算の解決策を手がかりとして環境問題を捉え直してみると、解決のための新たな糸口が見えてくるかもしれません。
参照・引用を見る
*1
Tom Meyvis & Heeyoung Yoon“Adding is favoured over subtracting in problem solving”(2021)
https://www.nature.com/articles/d41586-021-00592-0
*2
山崎俊男(監修)(2015)『徹底図解 社会心理学』新星出版社, p.78
*3
青木洋介「How Doctors Think:臨床医の診断思考過程のピットフォールを探る 代表的認知バイアス各論の紹介」日本内科学会雑誌108巻9号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/108/9/108_1842/_pdf, p.1844
*4
日経XTECH「多くの場合少ない方がいい」(2012)
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20120227/383105/
*5
総務省「令和2年通信利用動向調査」(2020)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/210618_1.pdf, p.5
*6
国土交通省北海道運輸局「エコ通勤を考えよう(参考資料)」
https://wwwtb.mlit.go.jp/hokkaido/bunyabetsu/kankyou/ecotsukin/3document03.pdf, p.2
*7
WWFJAPAN「47回目の設立記念日を迎えて」(2018)
https://www.wwf.or.jp/staffblog/activity/3730.html